1600年

関ヶ原古戦場 開戦地

、、、むかし知り合いに八丈島出身の人がいて

宇喜多秀家が流罪になったところです、と笑っていて

と言われても、、聞いたことのある名前だけど、、くらいで

なんだか印象を受けた覚えがあります。

 

しかしあの有名な

くさやとはどんなもんでしょうか?

相当臭いとかはまる人ははまるとか

 

一度は食べてみたい。

 

その関ヶ原の戦で西軍の主力として戦い、

敗戦後、八丈島に

島流しととなる宇喜多秀家。

 

彼は秀吉の信任厚く

秀吉の全国統一の版図を広げていく

四国、九州、小田原攻めや

朝鮮へ攻め入る文禄・慶長の役でも活躍します。

1598年に

豊臣政権の中枢を担うべき五大老に就任。

この時秀家は26歳という若さ、、、

しかし就任後、豊臣秀吉が死去。

あとを追うように五大老の重鎮、前田利家も亡くなり

 

、、、それからは豊臣家での派閥争いが表面化して

鳴くまで待っていた

五大老のもう一人の重鎮、徳川家康も

天下取りにむけて少しづつ動き始めます。

 

 

関ヶ原合戦の前夜、、、、

1600年9月13日

江戸からゆるゆるとやってきて

美濃赤坂に到着し陣を張る徳川家康。

杭瀬川を境に南東に位置する大垣城にいる

宇喜多秀家や石田三成、、

小西行長、、島津義弘ら

西軍の諸将たち。

 

徳川家康は、西軍諸将がこもる大垣城を無視して

西方し石田三成の居城佐和山城

果ては大阪城に向かおうとします。

 

この動きを知った西軍は

そうはさせるかと西方へ先回りし

関ヶ原で徳川家康率いる東軍を

待ち受ける準備を始めます。

 

1600年9月15日、、未明。

関ヶ原北西にある笹尾山に

「大一大万大吉」の旗が立てられ

石田三成が布陣。

 

このあたり、濃い霧と闇の中で

荒い息遣い、殺気立った匂いや

大きく人間がまとまるような気配が

あたりには立ち込めたのではないでしょうか、、、

これから始まる合戦、、

夜明けの近づくなか

東軍も続々と関ヶ原に集まり

 

徳川家康も桃配山に本陣を張ります。

緊張の高まるなか

この戦いの先陣を任された東軍、福島正則を出し抜いて

先陣を切ってしまおうと

僅かな部隊を率いる徳川家康の四男

松平忠吉。

21歳の若さで初陣を飾るという

彼の後見人、井伊直政と一緒に

敵である宇喜多直家隊の目の前まで接近、、、

 

それが午前8時頃、、、

それまで霧に包まれていた

人馬の群れ、指物、、、

徐々に霧が晴れていくなか、、、

目の前にいるちいさな部隊を発見した

宇喜多隊の最前線を指揮する明石全登。

敵か味方も分からない状況から、、

関ヶ原会戦の幕開けとなる

一発の銃砲が

、、ついに撃たれることとなるのです、、、

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