石田三成にはもったいないと
世間から言わしめたほどの男が
笹尾山の麓で陣を張り
人生最後の戦いを迎えます。
1600年(慶長5年)9月14日、、
徳川家康率いる東軍の部隊が
決戦前日には西軍の士気をあげるため
島左近と宇喜多家家臣の
明石全登らが杭瀬川で奇襲をかけ
これに大勝利したという。
しかし、、、島左近
若いイメージあったんですが
もうこの頃還暦!?
、、結構いいお齢で
石田三成より20歳も年上だったんですね。
想像ですけど島左近は、、
クソ真面目で頭は切れるが
危なっかしい20歳も年下の殿を
ずっと温かい目で見守り
助けてやろうという気持ちもあり
三成を
息子の様に感じていたのかもしれませんね。
そして決戦当日9月15日、、、
夜明けから東軍との戦いが始まるなかで
最前線に立ち
死を恐れず
鬼神のような働きぶりで
東軍の名もない兵士たちは
後ろからはきっと
上司からはいけといわれ、、
いやいけと言われても、、、、
目の前には鬼の様な
男が狂ったように暴れまわっている状況、、
想像するとたまらんですよね、、、、
黒田長政軍か田中吉政軍に突撃したとき
鉄砲隊の銃撃により
壮絶な討ち死にを遂げたというが、、、
、、、だがしかし
合戦後に彼の亡骸は見当たらず、、、
、、、噂では関ヶ原で死なず
戦後に京都やら静岡やらで
彼を見かけた人もちらほらいたという、、
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