1701年

赤堀水之助の墓

延宝元年(1673)に

小諸藩家臣 石井宇右衛門を殺され

その息子

長男 石井三之丞と次男 石井彦七は

父を殺害した

赤堀源五右衛門を探し出すべく仇討ちの旅に出たが

 

依然として源五右衛門の行方は知れず

虚しく歳月は過ぎていく‥

父の死から8年経った

天和元年(1681)

三之丞は仇である赤堀源右衛門に美濃養老の地で返り討ちにされ

別行動をしていた彦七は海で嵐に遭い溺死したという。

 

この救いようのないエピソードから

 

‥無念の死を遂げた兄達の遺志を引き継いで

まだ父が殺されたとき幼児であった

ふたりの弟達

三男 源蔵と四男 半蔵。

 

彼らは成長し父と兄の仇を討つべく

赤堀源五右衛門を長きに渡り探し

 

ついに見つけた。

赤堀源五右衛門は

伊勢亀山藩‥

当時の藩主は板倉重冬。

 

その家臣 青木安右衛門のもとにいつしか身を寄せ

その彼の推挙により禄150石を賜り藩士たちに武道を

教えていた。

また「赤堀水之助」と

名を変えていたという。

 

しかし石井兄弟はどうやって

赤堀水之助を見つけ出したんでしょうね‥

(苗字は変わってないけど)

 

‥ほんとうに細い糸の様な

情報を少しづつ頼りに

ふたりの兄弟は水之助を見つけ出し

仇討ちを決行したのは父、石井宇右衛門が水之助に

殺されてから‥

 

29年目の出来事であったという。

もう幼児であった二人は30過ぎてた‥

しかし‥この執念の物語は

凄いとしか言いようがありません‥

この仇討ちは当時評判となり

歌舞伎や浄瑠璃とかでも上演されて

かなり有名であったらしい‥

 

いろいろ脚色もきっとあったかもしれないが

 

でもそれでも

この伊勢亀山城跡のそばにある

 

照光寺というお寺には

 

「亀山の仇討ち」と呼ばれた

その仇である

赤堀水之助のお墓が

今現在も残っています。

 

しかしその29年間‥

石井宇右衛門を殺しその息子三之丞を美濃にて暗殺し

その後行方をくらませた期間。

 

亀山の地で赤堀水之助は

ながいあいだ

何を思っていたんでしょうね‥

もう大丈夫と安心してたのかそれとも

いまだ残る石井三之丞の弟達が

いつか自分を殺しにくるかもしれないとか

想像してたりして‥

 

その過去に自らが行った所業に後ろめたさも

あったかもしれません。

 

 

その頃、東海道筋のどこも栄えるであろう

宿場町において城下に泊まることを

禁じるほどの御触れを出したといわれる

亀山藩。

 

果たして

どういう経緯で

そうなったのかは知らないけど

それはそれで

藩は果たして何を考えていたんでしょう‥

 

そして‥父宇右衛門が水之助に殺されてから29年

兄三之丞が殺されてから19年ものあいだ

行商人とかになったりして

おそらく過酷な旅を続けていた

源蔵、半蔵兄弟の長年の辛苦は

もう(想像したくないですね)‥

 

何よりも

その仇討ちの本懐を遂げた

元禄14年(1701)の5月9日‥

 

宿直明けの早朝、城から出てくる

赤堀水之助。

 

積年の恨みをついに果たすべく

 

水之助を待ち受ける石井兄弟。

 

その本懐を遂げる寸前‥

 

朝早い

彼らが水之助を待つ時間

 

その眼前に水之助の前に現れる瞬間とか‥

 

水之介にとっては

夜勤明けでようやく家に帰れると

 

城を出たとき

目の前に彼らが現れた瞬間とか‥

どんな思いを感じたのか

 

想像できないけれど

想像すると背筋が凍る‥

 

 

結果、仇討ちは果たされたけれども

石井源蔵、半蔵兄弟‥

彼らは即座にその場を去ったといいます。

 

その後は‥

 

かつて父が勤めており

そのころ暇をもらっていた

青山家への帰藩が許され

彼らは家臣として

丹波亀山で過ごしたという‥。

 

多分仇討ちのあと

源蔵と半蔵の生涯のなかで

どこかで‥

 

兄、三之丞のあの髪の毛が生える柿の木のある

今も美濃養老 福源寺に残る三之丞のお墓に向かい

父、宇右衛門と

兄三之丞の仇討ちを

果たましたと‥

墓前に報告にいったことでしょう‥


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    石井兄弟 亀山敵討遺跡 

    先日の誤送信は誠に失礼致しました‥。今回はほんとです‥…

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