1766年

明和義民の碑

チコちゃん叱られる、、

今日も朝観てしまいました。

 

岡村の笑いにつられてしまう、、、

 

それはともかく、、、、

 

今回は百姓一揆のはなしです。

 

、、、一揆といえば

 

子供の頃ファミコンであった

「いっき」が

思い浮かびますが

こちらは本当の「いっき」

岐阜県揖斐郡池田町にあるこの石碑、、

1766年(明和3年)1月に

大垣藩の所領であった

この土地の農民たちが

蜂起したというこの一揆。

 

前年には大洪水もあり

農民たちは減税を願い出ますが、、、

 

ちょうど藩主は参勤交代で江戸に行っており

その時、城代家老たちが悪謀を図り

米1俵につき

数枡分増やし貢納させたそうです。

 

だが民衆たちも生きてはいけない、、

 

 

、、、ついに怒りは頂点となり

 

盛枡騒動と呼ばれる一揆が起こります、、

 

その数なんと3000人!、、、

各村々の人たちが

どんどん集まり奉行所へ押し寄せたんでしょうか、、

 

並みの人数ではなく

藩の役人も仰天したでしょうね。

 

その奉行たちは

農民の要求を聞き入れ

しかも救米も農民たちに下したそうで、、

なんとか収まったようです。

 

しかし藩にも面子があります。

 

徒党強訴の罪で

首謀者の

宮地村  喜平次と要助

有里村  新五郎と重吉

 

の4名は9月に死罪となったそうです。

 

どんな気持ちで

罪を受け入れたんでしょうか、、、

 

またその家族、一族も村を追い出され

家財全て没収、、、

 

そのあと、どうなったんでしょうか?

きになる、、、、、

 

しかし、彼らの死は無駄ではなかった。

 

この辺りの人たちにとっての誇り

死んだ彼らへの気持ちと

風化させたくない思いが

この石碑建立に繋がったんでしょうね。

 

歴史の表舞台にも出ないような

名もないこういった民衆の物語は

 

こんな小さな石碑があるだけで

気持ちが伝わります、、。

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