1823年

乳くれ地蔵

西国三十三ヶ所巡礼。

 

京都や和歌山あたりを巡る

日本でもっとも歴史が古いといわれる

信仰の旅、、。

その西国三十三ヶ所目にあたると

いわれる地が

岐阜県にある谷汲山(たにぐみさん)

華厳寺。

 

その華厳寺へ向かう街道には

むかし、その巡礼のために

多くの人々が

行き交っていたといいます。

 

だが江戸時代

この八幡という場所で

 

1823年(文政6年)のある日

ひとつの事件?がおこる。

 

ひとりの老人が

三十三ヶ所のお寺の全ての

巡礼を済ませたかどうか、、

 

谷汲山 華厳寺の参拝を終え

帰路につく途中

この巡礼の街道にあった

岐阜県揖斐郡池田町

八幡と呼ばれる道端のあたりにおいて

突如

病に倒れたといわれます。

 

名を宥峯(ゆうほう)。

彼の生まれは愛媛県

その頃 伊予国と呼ばれた国の

氷見村から来た

庄屋であったというが

 

ある流行り病により

妻と、5人の子供を

亡くしてしまったらしい。

 

宥峯はその妻と子供達の

鎮魂を願ったのであろうか

お地蔵さんを建立すべく

谷汲山への巡礼をしたけれども

宥峯はそのふるさと

愛媛県には帰ることができず

体調を崩したまま

 

ついにはここで客死する。

、、

しかし

宥峯はこの八幡の地で

命尽きる前

ある行動を起こしたという。

 

彼は

「あなたの乳を飲ませてください」

その街道において

道ゆく女性に懇願しはじめた。

これは、、、

なにがなんだか

わからないが

今だったら警察に呼ばれそう

いや

きっと呼ばれる、、

 

あたり前だが

そのおっぱいを飲ませてほしいと

不気味な訴えを続けた

宥峯という老人に

誰も近寄らなかった。

 

 

、、、、しかし

このときひとりの女性が

彼の訴えに応えようと

現れたという。

彼女の名は

おみね。

 

この八幡あたりの庄屋の

妻であったらしい。

 

おみねはその老人に

おっぱいを飲ませようと

自ら胸を肌けようしたその時

宥峯は彼女に

「勿体無い、勿体無い」

 

と言ったという。

 

「私はあなたのような慈悲深い人を探していた。」

 

 

その宥峯は自分の身の上話を彼女に話し

懐にあったお金を

おみねに託し

この八幡の地でお地蔵様を建ててほしい。

 

彼は彼女に訴え

息絶えたといいます。

 

おみねは宥峯の思いに応え

彼の亡骸を丁寧に葬り

 

その約束を守って

お地蔵さんを建立したといわれます。

しかし

 

なんともいえないこの田舎の昔話に

なんともいえない不思議な物語が残っています。

なんともいえない後日談ですけれど

 

その老人におっぱいをあげようとしたおみねさん。

 

このエピソードから

110年過ぎたころ

 

昭和8年、、、

平成時代の天皇である

 

現在の上皇陛下がお生まれになったとき

日本全国から

その明仁様の乳母を

募ったといわれます。

 

そのなかで

竹中敏子と呼ばれる女性が

明仁様の乳母に選ばれたという、、。

800人もの志願者のなかで

これはなんの因果か縁なのか

その

竹中敏子というかた、、、

 

なんと

おみねさんのひ孫だったといいます。

 

しかし乳母といえば、

徳川家光の乳母

春日局とか

喜多の方とか(独眼竜政宗の竹下景子とか)

 

尊貴なお方に

おっぱいをあげている

イメージでいいのかな、、、

これくらいしかわからないけれども

むかし

8時だよのドリフの前にやってた

日本昔ばなしに

ありそうなはなしです、、。

ありそう、、、

よかったら動画も見てくださいね。


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