宝暦治水事件と呼ばれる
1754年 宝暦4年に
江戸幕府が
濃尾平野の乱発する洪水を止めるべく
木曽三川と呼ばれる
木曽川と長良川、揖斐川の治水工事。
その過程で工事中に
薩摩藩士51名が自害。
33名が病死という
かなりの犠牲を払った事件。
薩摩藩の総指揮を務める家老
平田靱負を中心とし
ただでさえ財政が
逼迫していた薩摩藩の財政を
潰しにかかる江戸幕府。
せっかく作った堤防を
何度も破壊される嫌がらせ。
薩摩藩士に対する
江戸幕府からの冷遇の指示。
これほどの自害者が
1年足らずのうちに出てしまうというのは
壮絶な現場でかなりの屈辱や不当な扱いを受けた
薩摩藩士の意地や怒りの声が伝わってきます。
、、、、しかし今回紹介したのは
幕府方の方のお墓、、、。
岐阜県羽島市の
竹鼻別院という
お寺の境内の中にあり、
春は藤がとても綺麗です。
竹中伝六という幕府方の役人で
工事完成後
検分を待つのみであった
宝暦5年正月の13日未明に自刃。
享年29歳とのことです。
遺書もなく、原因は不明だそうです。
監督上の責任を負った
可能性があるらしいですが
、、、彼は1年間ものあいだ
目の前で理不尽で悲惨な扱いを受けても
きっと黙々と奴隷のように
工事に従事している
薩摩藩士たちを
ずっとそばで見ていたと思います。
あからさまな嫌がらせを受け続けた
薩摩藩士総勢947名。
工事が完了した時の気持ちは
いかばかりのものか、、、
役目とはいえ、、、
幕府の役人たちにとっては
この1年間、、、、
彼らがどう映っていたんでしょうか。
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