940年

御首神社

怨霊伝説で有名な

平安時代の関東の豪族、平将門。
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今でいえば

千葉県と茨城県あたり、、、

一族との土地の争いから

抗争を繰り返し

内乱へと拡大。

彼は関東独立を図り

自らを

「新皇」

と名乗ります。

その男の首が祀られている神社。

みくびじんじゃ、と呼ばれ

岐阜県大垣市にあります。

岐阜市から関ヶ原、彦根方面に

国道を走ると
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ちょっとおどろおどろしい

看板が目に入ります。

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彼は関東において

一族とのトラブルに巻き込まれながらも

朝廷からの行政官、関東にいる行政官たちの

利権トラブルの仲裁をしたりして

世間から一目置かれる存在だったという。

しかしある日

藤原玄明という朝廷からお尋ね者だった男を

匿ったことから

歯車が狂っていったようです。

常陸介という実質一番の権力者であった

藤原惟幾の

引き渡し要求にも応じなかったといい、、、

 

将門は将門で玄明の助命嘆願をされるそうですが

聞き入れてもらえない、、、

 

将門はついに国府を襲撃。(県庁みたいなもんだと思います、、)

国府を占領してしまいます。

これまで、藤原摂関政治が続き

役人たちは私腹を肥やすことしか考えておらず

多くの徴税で疲弊しきった領民たちにとって

この行動は拍手喝采。

彼らの溜飲を下げる痛快事だったと思います。

そして将門は周辺の国府を次々と陥落させていく、、、

 

、、、同じ時期

遥か西の瀬戸内海では

将門と申しあわせたように

藤原純友が

反乱を起こしたそうです。

、、、しかし将門の反乱も長くは続かず

彼のいとこである平貞盛。

彼は一族での争いで

将門から散々煮え湯を飲まされてきたようです。

藤原秀郷というムカデ退治で

有名な豪族とともに

将門を追い詰め、討ち取ったそうです。

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将門の首は京都、七条河原で晒されますが、、、

首は、、、故郷へ戻るため

空を飛んだそうで

その飛んでいる首を

矢で射落とした場所が

この辺りらしい、、、、?

首が関東に戻ることがないように

将門の怒りを鎮めるために創建された神社だそうです。

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この承平・天慶の乱と呼ばれる

反乱がおさまり

朝廷が

ホッとするのも束の間、、、

少しづつ
藤原摂関政治の崩壊が始まっていきます。

これまで地方豪族であった

武士の時代の足音が徐々に聞こえてきます、、

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