1600年

池田輝政 鎧掛けの松

河田渡河の戦いから

米野の戦いへと

 

次々と西軍を打ち破り

少しづつ岐阜城に近づく東軍。

e4e8ef3e-s

その指揮官である

池田輝政が

岐阜城を攻める前に休んだと言われる

松だという。

 

乃木希典像があった

八剣神社内にある、、、。

1ffaa65c-s

7ae22e90-s

池田輝政、、、

織田信長の家臣である

池田恒興の次男として生まれ

長久手の戦いで父と兄が

戦死したあと

 

家督を継いで

美濃大垣城城主から

岐阜城城主になり、、、(←以前住んでいた城を

攻めているのは本当にすごい、、、なんの因果か、、)

となり、豊臣政権下において

様々な戦いに参加します。

 

そして秀吉が没してからは、、、

徳川家康に近づき

関ヶ原の戦いでは

徳川家康引きいる東軍に属します、、、。

 

 

イメージ的には

如才ないというか、世渡り上手というか

 

だがその小牧長久手の戦いにおいては

父や兄とともに

戦死をも辞さぬ覚悟であったというが、、

 

 

しかし本人は至っておおらかで

あっさりした性格だったようで、、、。

 

 

のちにあの姫路城のある

播磨の国に移っても

好感のもてる大名だったようで

輝政の孫もかなり尊敬していたといいます、、。

 

関連記事

  1. 1600年

    兜塚

    まだ織田信長の家臣であった羽柴秀吉に若き頃から…

  2. 1600年

    御手洗池 岐阜

    関ヶ原の前哨戦として木曽川を境に張っていた西軍は…

  3. 1600年

    小屋場島の陣跡

    川の真ん中に、、、長い時間をかけて土や…

  4. 1600年

    津屋城

    関ヶ原の戦いのまえ、、、、徳川家康…

  5. 1600年

    床几場

    今年の冬たぶんいちばん寒い時期に関ヶ原…

  6. 1600年

    岐阜城

    徳川家康が関ヶ原の合戦に勝利したあとか…

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。



















記事をメールで購読

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。




  1. 神話 伝説

    天の岩戸 恵利原の水穴
  2. 1584年

    伏屋城 
  3. 1165年

    三十三間堂
  4. 1574年

    秀吉公と石田三成公 出逢いの像
  5. 658年

    行幸芝
PAGE TOP