1561年

森部合戦の古戦場・薬師堂


斎藤道三が

息子の斎藤義龍に討たれ、、

 

道三の義理の息子である織田信長は

斎藤家を討つために

美濃攻めに取りかかります。

「西濃」と呼ばれる

岐阜県の南西部へ侵攻を行いますが

 

想像以上に義龍は強かったらしい、、、

 

父から馬鹿にされていた2メートル近い男は

長良川の戦いで父である道三と戦いますが

父は、死ぬ前にこの戦いで

斎藤義龍の見事な采配に

「しばらくは斎藤家も安泰」

と言ったそうです。

 

そして、、

尾張一国を手中に収め

桶狭間の合戦で奇跡を起こし

今川軍を撃退した

信長は

美濃を切り取ろうとしますが

なかなか美濃を攻めきれない。

その間に義龍の目線は西へ。

六角氏と手を結び、、、北近江をターゲットに戦い始め、、

それを聞いた信長は信長で

北近江の浅井氏と手を組もうと考えている、、、

 

その尾張との攻防が続いているなかで

1561年(永禄4年)5月11日に

斎藤義龍は突然、死を迎えます。

跡を継ぐは僅か14歳の息子、斎藤龍興。

 

、、隙があればやられるような

この激動の時代のなかで

義龍はどんな思いで命を終えたのか、、、、

 

そして義龍が死んだという報を聞いた信長。

彼はなんとその死を知ってか、、

僅か2日後に美濃へ再び侵攻したそうです。

(電話もメールもなんもない時代に

どんな情報網を張っていたんだろう、、、)

長良川を渡り、ここ岐阜県安八郡の森部まで進出。

斎藤軍は6000人、織田軍は1500人と圧倒的な兵力の差も

織田軍は三手に軍を分け挟み撃ちをし大勝利。

この勝利によりここの近くにある

あの有名な墨俣城の砦を奪い

この戦い以降は織田軍の砦とし

もともと読めないのでなんですが、、、

なんて書いてあるんだろう?

永禄四年?と古戦場?くらいしか分かりません、、、、

しかし、、、この薬師堂があるあたりで、

信長は敵の首実験を行なったそうで、、、

この戦いで敵将のひとり

稲葉一鉄の叔父である

稲葉又右衛門を討取るという武功を挙げた

池田恒興と佐々成政もいたり、、

 

また、この戦地の跡のそばに松の木があり

これは大河ドラマでやったと思いますが

ちょっと

見ていないので分かりませんけれども

 

信長の小姓として可愛がられていた

犬千代と呼ばれた男の小さなエピソードがあるようです、、、

 

今日は疲れたので、、、

次回へと続きます、、、。

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