672年

村国男依 像

「壬申の乱」

と呼ばれる古代最大の内乱。

もともと天智天皇の弟

大海人皇子が

皇太子として次期皇位の継承者だったそうですが

 

息子である大友皇子を

溺愛した天智天皇。

大友皇子を次期継承者とし

大海人皇子を排除しようと

画策し不穏な動きがあったようです。

 

立場どころか

命まで脅かされそうになる大海人皇子は

 

天智天皇が死ぬ前に

自らの進退を切り出した

大海人皇子

「天智天皇の直系であるあなたの息子

大友皇子に次の天皇を継がせるのが

筋なので」

 

と言い残し出家し吉野(奈良県)へ、、、

だが天智天皇が亡くなると

大海人皇子はすぐに

天智天皇の息子、大友皇子に対して

反旗を翻すこととなります。

 

この銅像は

岐阜県各務原市の市役所の正面玄関をくぐるとあります。

綺麗な顔をしていますが

相当な軍人だったらしく

この辺りの豪族として

壬申の乱において大海人皇子に仕え

岐阜(美濃か)で兵を集めて

近江にいる大友皇子は

滋賀県から東へ向かう不破の道

(関ヶ原のあたり、、)

を防がれてしまったそうです。

村国男依はそのあと近江方面軍の将として

連戦連勝。

どんどん突き進み

 

瀬田橋の戦いで

近江朝廷軍を撃破し

大海人皇子を勝利へと導くこととなります。

 

、、1300年ものちの現代でも

神社や芝居小屋まであるほど

地元に名を轟かす英雄。

どこかで聞いたことあると思ったら

あの「火の鳥」の「太陽編」の舞台。

初めて読んだ時は初っ端に

狼の首を被せられる主人公に衝撃を受けた覚えがあります、、

家にあったので久しぶりに読んだけど

やっぱり

神様、、、

 

陽だまりの樹とか

アドルフに告ぐとか

ブッダとかも好きなんですけど

大きな声で、好きと言えるほど

知ってる人にそんな話したりしないし

今までそういう話ができる人とも

出会わなかったので、、

ここで一人で喋っていますが

なんとも寂しいもんです、、。

 

 

勝利した大海人皇子。

彼は壬申の乱に勝利したあと

天武天皇として即位し

天皇の権力や権威を

強めていく政策を実行していきます。

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