岐阜の羽島市にある
地元の人に大切にされている大仏です。
永田佐吉というかたが造ったそうです。
彼は親を大事にし
神仏の信仰も厚く
慈悲深く誠意に溢れた人生は
今でも語り継がれており
昔は道徳の教科書にも載っていたらしい。
元禄14年(1701年)
美濃国竹ヶ鼻に生まれ
母、父を早くに亡くします。
彼は11歳で名古屋に行き
紙屋に丁稚奉公をしながら
勉学に励みますが
職場の人たちに妬まれ、、
紙屋を追い出され
竹ヶ鼻に戻って綿屋の商売を始めてからは
「信頼関係」を武器に
大繁盛。
財をなした彼は
道路や道しるべ、橋を作ったりと
自分の名を売ることなく村人の名のもと
私利私欲を追求しないその姿は
仏佐吉と人々は呼んだそうです。
そして行く道に盗賊現れれば
金品や着物を与えたり
義理の母親が仏様を造ったら
と提案し
寛延3年(1750年)にこの大仏を造ったそうです。
しかも江戸で1回目発注したの大仏は船が沈没。
別にそれを苦にもしなかったようで
2回目に発注した大仏が現在残っているものだということ。
寛永元年(10月10日)
彼は89年の生涯を閉じます。
しかし、、、
語り継がれない努力、苦労や不安、辛酸を味わったことも
きっとあったんでしょうが
なんとも、、
なかなか自分にはこういう人にはなりえないな。と思います。
夕方ごろに行った時に
ちょうど近所のおばさん(らしきかた)がいて
大仏に手を合わせていました。
毎日のように来られているような感じで
この大仏や永田佐吉翁の徳の深さを感じます。
この双六も
、、、、戦前の
ハイセンスな感じで
味わい深い、、、
行けばもらえます、、、、
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