長篠の戦いで
武田家を潰走せしめた織田、徳川連合軍。
鉄砲の三段撃ちが有名ですが
勝利の一因を作ったという
奥平信昌。
彼は
武田勝頼率いる1万5000人に包囲されるも
たった500人で
長篠城を守りきりました。
この籠城戦のなかで
壊滅寸前であった長篠城。
奥平軍の部下として
命懸けの援軍要請に志願した
有名な足軽
鳥居強右衛門、、
そのうち紹介できたらとは思います、、、
戦後、奥平信昌は
織田信長から賞賛され
徳川家康からもとてつもなく
感謝されたうえ
末代までの高待遇を約束されたそうです。
そんなこと言われたらもう一生ついて行くしかないですね、、、
奥平家は
祖父の代から
今川家、
徳川家、
武田家と渡り歩き
また徳川家に引き抜かれてと
苦労もあったようですが
これでようやく
腰を落ち着くことができたようで、、、。
加納城ですが
関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康が
1602年(慶長7年)に
岐阜城の廃材を使用し
ここ、岐阜市加納に築城。
今は石垣とかの面影だけが残り
広い公園になっています。
この城の城主として
入城した
奥平信昌は
徳川家康の気のおけない部下として
徳川家康と築山御前の娘である
亀姫(ちょっとなかなかのツワモノみたいです)
と結婚し
このあたりは
江戸時代、岐阜の中心地として栄えたところだったそうです。
しかし、岐阜城、、、
加納城が岐阜の中心になった頃には
廃城、、、、
縁起の悪い城として有名だったそうです。
時代の移り変わりの中で
多くの大名が入れ替わり立ち替わり
城主となりましたが
その誰もが
不幸な死を遂げていったという噂、、、
たった一人を除いて、、、
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