岐阜県養老町にあります。
1525年(大永5年)に
牧田合戦という
美濃国牧田において
守護大名である京極家の一家臣に過ぎなかった男が
彼もまた戦国の下克上を体現し
北近江覇権を握ることとなったという
浅井亮政(浅井長政のおじいちゃん)率いる
近江勢と
これを迎える美濃国守護大名の
土岐頼芸が率いた軍勢との
合戦の地だそうです。
ちょうど、土岐頼芸は兄、頼武との家督争いで
バタバタだった時期で
それに介入しようと浅井氏が美濃へ侵攻したそうですが、、
、、、、踏ん張る美濃勢
石碑に彫られた
丸毛兵庫頭、稲葉備中守を中心に
激戦が繰り広げられ
ここで奮戦し両軍引き分けとなったそうです。
しかし、この石碑は地元の人か
よほど歴史とか好きな人でないと、、、
たまたま通りがかったらなんかある!?て
場所にある、、、
しかも駐車場もなく
車もブンブン走っている場所に
こんな石碑があるとは
石碑になり、のちの人々に伝えていきたいという
強い気持ちが
建てた人から伝わります。
よほど凄まじかったんでしょうね。
丸毛兵庫頭ですが、斎藤家から織田家、豊臣秀吉に仕え
美濃福束城城主となったそうです。
そして稲葉備中守は
なんと息子五人と出陣しますが
全員討死したという、、、、、
、、しかし合戦には参加せず
お寺に出家していた末っ子が一人残っていた、、、
のちの名を
稲葉一鉄。
ここから彼は還俗し稲葉家の跡を継いで
歴史の表舞台に出ることとなる、、、
運命とは分からんもんです。
そして冒頭に出てきた土岐頼芸も、、、
ゆくゆくは兄、頼武を美濃から追い出し
美濃一国の大名になりますが
まさか、信頼していた部下に
いずれ美濃一国を乗っ盗られ、自分が追放されるとは、、、
夢にも思わなかったと思います。
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