1169年

五条大橋 牛若丸弁慶像





牛若丸が武蔵坊弁慶と出会ったとされる

京都、五条大橋。

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しかし当時はまだ五条大橋は無く

松原通り?清水寺?が
二人の決闘の場だと言われているそうです。

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どうでもいいですけど

京都は車の量が凄い、、、
軽い気持ちで車で行ったら
交通量が半端ないです、、、

とてもじゃないが
次回からは電車で行こうと思います、、

それはともかく
牛若丸の母
常盤御前。

絶世の美女だったそうです。

あまり身分の高い方ではなかったそうですが

源義朝に見初められ

今若

乙若

牛若

3人の男児を産んだそうです。

しかし
父、 源義朝は

平治の乱で敗れ
匿われた地で

入浴中に殺されてしまいます。

常盤御前はその後

平清盛の妾になったりしながらも
一条長成という公家に嫁いだそうですが

果たして彼女は
幸せな人生を送れたのでしょうか??

残された3人の息子たち。

今若は7歳のとき寺に預けられ

悪禅師という異名をもち

異母兄である
源頼朝が挙兵した際に馳せ参じ

以後は着実に彼のもとで
地位を築き上げます。

しかし頼朝死後には
甥である

2代将軍 頼家と対立。

最後は殺されたそうです。

乙若、、、

彼も仏門に預けられますが

源義円と名乗り

若い命を墨俣で散らします、、
IMG_8776

そして牛若。

彼は義朝が殺されたとき
僅か2歳、、、

成長し鞍馬寺に預けられて

名を遮那王と名乗ります。

自分が源氏の血を引いていたことを
知ったときには、、

どんな思いがよぎったのでしょうか。

将来の自分について
どうすればいいのか
何をすればいいのか
色々悩んでいたんでしょうね、、、

その頃にきっと

武蔵坊弁慶と出会ったんでしょうか?

弁慶は弁慶で
この人も仏門に入っていたようですが
乱暴狼藉、しまいには
どこかの寺の塔を火事にしてしまい

行くとこがなくなった果てに

道ゆく侍の太刀を強奪し
コレクターとなっていた時期。

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彼らの出会いは

これから訪れる物語の
ほんの序章に過ぎないでしょうが

心踊らされるものがありますね。

このあと、遮那王は鞍馬寺を出奔。

奥州平泉 藤原秀衡の庇護のもとで
過ごします。

いずれ、憎っくき
親の仇である

平氏を滅ぼすことを夢見て、、、


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