1619年

和歌山城

和歌山県にある

(雨がひどかったな)

紀州藩の初代藩主

徳川頼宣はこの地で

みかんの生産を奨励し

日本中に広め

 

その家老

安藤直次はこの地において

梅干しを流行らせたという話があります。

関ヶ原の戦いが終わった2年後

60歳を目の前にしている

徳川家康に十番目の息子(しかし元気だ)が誕生します。

それが紀州徳川家の初代藩主となる

徳川頼宣。

 

彼が若くしてこの紀州藩を治めることとなったとき

生まれた時から三河武士として

なんの迷いもブレもなく

徳川家康のそばで

徳川家に尽くした武将、、、

老境に差しかかっている

安藤直次。

 

紀州藩の祖、頼宣につかえた彼は

頼宣から絶大な信頼を置かれていたという。

 

直次は田辺城を領し

頼宣の教育者として自らの人生を

紀州徳川家に捧げていく、、。

頼宣はわずか2歳で水戸20万石の大名となり

そのあと駿府50万石という

生まれながらの大名として育てられる、、

 

しかも父である大御所、家康は

数多くいる兄弟の中でも

頼宣に期待を寄せていたらしく

幼少の頃より家康のもとで厳しく教育を受け

きっと、、

ときには

もはや孫のような息子を

可愛がったことでしょう、、、、。

しかも、、6歳になった頼宣は

はやばやと婚約をする、、。

相手は加藤清正の娘であったというが

おそらく政略結婚だったであろう

この頼宣夫婦、、

清正が死にその加藤家が没落して

家康が死んだのち、、

その婚約の約束を守り通し

結婚してからも

頼宣は終生、この妻を大事にしていたといいます。

また

頼宣が14歳の頃、、

大坂夏の陣に参戦した彼は

武功を立てたいと自ら先陣を希望したけれども

周囲に阻まれ

いくさ経験も浅かった自らを憂い

悔し涙を流したといわれます。

 

覇気に満ちていたといわれる

このお殿様は若い頃は

自らその罪人を試し斬りしたりだとか

今では考えられないような

、、そんな

横着な面もあり

それを安藤直次ら家臣は嗜めながらも

成長していったといいます。

 

のちに安藤直次と

取っ組み合いの喧嘩になったのか

どうかは知りませんが

頼宣は傷か痣を太ももかどこかに負い

その傷を思い出し

自らを戒めていたという話も残る、、、

兄である徳川2代将軍秀忠は

幕府の支配を安定させるべく

江戸と大阪の喉元であった和歌山に

最も信頼を置ける弟、頼宣を駿府から移し

 

頼宣も父の期待に応えるがごとく

この領国を治めていったという。

多くの浪人を召しかかえたり

農民の年貢の税率を公平に行えるようにしたり

 

参勤交代とかの出費が莫大ななか

家臣の窮乏を救うべく

徳川本家に

上手くごまかしちゃったりするらしい、、、

 

いいことなのか、、でも、、

今ではどえらいニュースになりそうな、、、

 

そして父母状と呼ばれる政策、、

法律を守り

親を大事にし

謙虚で

勤勉で

正直であるべく

 

紀州藩において幕末になるまで、、、

子孫代々大切に

この父母状の教えは

伝え続けられていくという。

和歌山城の近くにある

家老 安藤直次が本拠とした

海から近く

会津川沿いに

建っていたのは田辺城。

田辺の地は、、、

かの源義経に最後まで仕えたという

怪僧、武蔵坊弁慶や

 

その生き様は破天荒で

常軌を逸したといわれる

「てんぎゃん」(天狗らしい)

天才学者、南方熊楠を生み出す、、、

そして、、、、

のちに、徳川幕府は何度も

その危機的な状況に陥るというが

ここ紀州徳川家から

頼宣の孫であった暴れん坊

8代将軍 徳川吉宗公、、、

 

また、幕末においては

動乱のうねりに巻き込まれ

まだ少年であった

14代将軍 徳川家茂公が

この紀州藩から

輩出されていきます。

そして最後にもうひとり

陸奥宗光、、、

 

明治政府においてカミソリ大臣と呼ばれた男は

若きころ、、海援隊隊士として

坂本龍馬とともに活動を起こし

 

徳川慶喜による

大政奉還から、、、

坂本龍馬が暗殺され

日本の歴史の移り変わる狭間に

紀州藩は

新政府軍か幕府軍かどっちにつくべきか

悩みきっている状況のなか

(いや徳川家だし、、悩むのか?なんだか、、わかりませんが)

 

陸奥宗光にとって

紀州藩の勘定奉行であった

父が失脚されられてから、、

 

その極貧の生活を送らざるを

得なかったという少年時代の

苦い思い出を残し

飛び出していった

憎き故郷 紀州藩を

救うこととなるといわれます、、。

 

 

だがちょっと、、まだまだ興味深い

紀州の地、、、

色々書きたいことあるけど

 

長くなりそうなので

またそのうち、、(予定)

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