1582年

お濃之墓

斎藤道三の娘であり

織田信長の正室として

濃姫と呼ばれる

 

彼女のお墓が

岐阜市の不動町というところにあります。

なんでも、、

本能寺の変において夫である信長が斃れ

そのとき本能寺に一緒にいたという濃姫も

ともに討ち死にし、、

 

そして名もなき家臣が彼女の遺髪を埋めたと

伝わる場所だという。

 

 

1945年(昭和20年)

7月9日の真夜中、、

B29編隊が現れ

岐阜中心部の空襲を開始する。

、、、

それは1時間ほど続き

このあたりは、、、、

焼け野原となったといいます。

この墓石も、、、

そのとき

すべてが灰燼となったなか

30年ものあいだどこかの土の中で眠り

 

昭和50年に

再び見つかったらしい。

しかしこの墓石?、、

、、

寛文5年?と書いてある、、、

寛文5年、、1665年はもう

江戸幕府が開かれ

4代目将軍 徳川家綱の時代。

本能寺の変は

1582年。

もう80年くらい経ってるけれども

なにか

事情があるのかどうか、、

 

その濃姫、、、

帰蝶とも呼ばれた彼女は

今もって多くの謎に包まれており

はたしてこの

本能寺の変において

信長とともに死んだのも疑わしいという。

 

美濃の斎藤道三と

尾張の織田信秀が争っていたなか、、

 

政略結婚により

道三の娘

濃姫は

信秀の息子である

信長の正室となったというが

濃姫はその前に、、、

いちど

結婚していたという噂もあります、、

 

そしてこの夫婦の間には子供が生まれたのか

生まれていないのか

それすら分からないみたいで

信長の後継はのちに吉乃と呼ばれる

側室の息子であった

奇妙丸 織田信忠、、、

 

濃姫。

彼女の人生というのは

もうなんだか、、

幸せだったのか

それとも不幸せだったのか

長生きしたのか

それとも早死にしたのか

どんな人生を送ったのかは

何も記録が残っていないらしい、、、

 

織田信長という

かなりどころか

誰もが知っている有名人の妻が、、、

なぜ

こんなに

謎に包まれているんだろう、、。

、、書いてて

わけが分からなくなってきたが

いつか彼女の謎が

あきらかになる日は

来るんでしょうか、、?

 

そして来年の大河ドラマは

どんな濃姫を描くのでしょうか?

 

しかし、、、

、、この記事書いてる途中に

すごいニュースが

耳に入ってきてしまったが

 

はたして、、、、

 

すべてが灰燼となったなか、、

来年の大河ドラマは

どんな濃姫が描かれるんでしょうか、、、?

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