岐阜県羽島郡笠松町、、、
住宅に囲まれた場所にある
一つのお墓、、
長いあいだ大事に
されているのがうかがえます。
「土岐塚」
と呼ばれる
そのお墓に
かつての九代目美濃守護大名
土岐政房の八男である
土岐頼香が
今も眠っている、、、。
父、土岐政房は
その父である
八代目守護大名
土岐成頼の嫡男で
後継ぎであったのは
当然の事だったが、、
だがしかし
父、成頼から疎まれていたといわれ
政房の弟であった元頼を
次の後継ぎにしようと企み
弟である元頼を擁立したという
守護代斎藤利藤と
小守護代である石丸利光、、
だがその野望を喰い止めるべく
長男政房のもとに
かつて
守護土岐氏を上回る勢力を誇る
斎藤妙椿の息子(養子だが)
斎藤妙純が立ちはだかり
美濃では内乱が巻き起こる、、、
船田合戦と呼ばれるこの戦いにおいて
長男であった政房が勝利し
父の野望?希望?は打ち砕かれ
弟であり敵であった元頼は破れ
自害、、、
ついに土岐政房が土岐守護大名となるが
その政房の味方についた
斎藤妙純、、
彼はその守護大名政房の勢力をも凌ぐ、、、
、、もうこのあたりの時代になると
土岐氏のお殿様たち、、、
きっとはたから見れば
お飾りの様な立場で
清和源氏からの血統確かな
土岐氏という名前だけを利用し
その守護代とか他にもいろいろな部下たちが
わやわやと好き勝手に美濃の国を仕切っていくのは、、
まあそれはともかく
土岐政房を擁して
強大な力を得た斎藤妙純は
近江守護大名
六角氏との戦いにおいて
戦死してしまい
そのあと美濃小守護代であった
長井長弘が勢力を強めていく。
だが、、その長井長弘の
部下に、、
とんでもない男がひとり。
油商人から成り上がり、、
親子二代に渡って
のちに
その長井長弘自身どころか
土岐氏を滅亡に追い込んでしまう、、、
どんどん話がずれてしまうので戻しますが
その土岐頼房の八男であった頼香、、。
兄である土岐頼芸は政房の次男として生まれ
長男、頼武と幾度も家督争いを繰り広げたという。
歴史は繰り返され
長男頼武もまた、、父政房から
嫌われ、、
次男であった頼芸に家督を継がせようとしたことで
父政房は
弟との抗争を繰り広げた自分と
息子達が兄弟間で争っている姿を
どんな気持ちで見ていたんでしょうか、、、
この戦いは、、、
頼芸が斎藤道三の助けにより
兄、頼武を追い出して
美濃守護大名となります。
が
1542年(天文11年)、、
大桑城にいた頼芸はあえなく
部下であった道三に攻められ
織田信秀を頼り
尾張国へ落ちる、、、
この時点で、、、鎌倉時代から隆盛を誇った
土岐氏は滅亡し
斎藤道三が遂に美濃国を我がものとする、、。
そして土岐政房の八男であり
頼芸の弟であった土岐頼香、、
彼はその頃、道三の娘婿であったことが理由なのかどうか
美濃において追い出されずにいたみたいですが、、
この頼香、、ちょっとなんだか気の毒なのは
彼の妻は斎藤道三の娘だったというが
、、、
実は実の娘ではなく
どうも京都から美女を買ってきて
その女性を娘として扱い
しかも
頼香の妻となる前には
もともと兄である頼武の妻だったらしく、、
頼武は死ぬ間際まで
美濃奪還の野望を抱いていたらしいけれども
道三により毒殺されたという噂もあり
その頼武が死んでから
頼香にその兄の妻を押し付ける様な
かたちで嫁がせたというが、、、
その女性こそ
どんな気持ちを持ちながら
道三に振り回され、、、
果たしてどのような人生を送ったんだろうか、、、、
頼香は、あの織田信秀が尾張から
美濃に攻め込んでくるとき、、、
舅である斎藤道三の命により
無動寺城と呼ばれる砦において守りを固め、、
↑この標柱には
「古歌 主をきり婿をころすはみのおわり昔は長田今は山城」
と書かれています、、
それはともかくその無動寺城に
ある夜中、、、織田勢が
大量の篝火を焚いて
この城を密かに取り囲んだという、、
不意を突かれた頼香軍は大混乱におちいったというが、、
道三の狙いは
この無動寺城を守ることでは
なかったのかもしれない、、、
彼は、、、おそらく織田軍がここ
無動寺城に攻め込んでくることを
見込んでいたのか
道三の本当の狙いは
土岐家の血を殲滅すること、、、
この戦いにおいて
土岐頼香に対し斎藤道三が
刺客を放ち暗殺を命じていたという。
そして織田軍が無動寺城を取り囲んでいる
混乱のさなか、、
道三のために戦いながら
土岐一族を亡くさんとする
道三の野望の前に
頼香は
なんの罪もなく消え
土岐頼香はむなしく無動寺の
隣の薮かげに葬られた、、、
そして、その斎藤道三の密命により
頼香を殺したのは
松原源吾。
このあたりに城を構えていたという
土豪であったという、、、
多分次回に続く、、、
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