1544年

無動寺城

尾張守護大名である

斯波氏の守護代である織田家、、

どの時代でもどこのよその家にもある

身内の争いにより

 

応仁の乱から

織田家は

岩倉城を本拠地とした伊勢守家と

清洲城を本拠地とした大和守家に分裂、、

 

その大和守家の奉行の一人として

続いていく織田の骨肉相食む争いは

のちに織田信長が

幕を閉ざすまで続いていく、、、

 

 

ところで

愛知県津島市は

いまではもう木曽三川を西に

内陸の町となっていますが

 

戦国時代には

伊勢湾に面した港町だったといいます。

 

またこの地に

何百年も昔から信仰されていた

牛頭天王社に大勢の参拝者が訪れて、、

 

津島衆と呼ばれ

豊かな経済力を盾に特定の領主を置かず

商業都市として

大いに栄えたといいます。

 

その津島の経済力に目を付けたのが

織田信長のおじいちゃん

織田信貞。

 

織田弾正忠家と呼ばれる

奉行のひとりであった彼は

 

津島の近所に

勝幡城を築き支配を企み

陰謀の限りを尽くして

津島衆と戦い

寺や神社や町を悉く燃やし

 

1524年(大永4年)あたりには

信貞は津島を我がものとしたという。

 

豊かな経済力を背に信貞の跡を継いだのは

息子であった織田信秀。

彼もまた父の跡を受け継いで

尾張での勢力を拡大させていく、、。

 

1538年(天文7年)あたり、、、

まだ名古屋城が那古野城と呼ばれていた頃は

名古屋のあたりは今川義元の弟である

今川氏豊が支配していたといいます。

 

その氏豊と信秀は

連歌と呼ばれる言葉遊びに夢中で

仲が良かったらしい。

 

ある日、那古野城において連歌を興じようと

織田信秀は氏豊のもとへ向かったという、、

 

信秀はその途中、、、連歌の道具を

誤って川へ流してしまったことがある、、

氏豊は

わざわざ津島の方から那古野に来るのは

行き来が面倒なので

信秀に那古野城で何泊かして

ゆっくり連歌を楽しもうと提案。

 

それからは那古野城において

信秀は泊まるようになり氏豊と

連歌を楽しむ、、、、。

 

その信秀が

那古野城に泊まっていたとき、、

信秀は急に体調を崩し悶えたという。

 

心配した親族が那古野城にやってきたころ

那古野の町に火事が起きたらしい。

 

炎は城にまで広がりかけて、、

信秀の急変や火事だの大騒動の最中

勝幡城からやってきた

甲冑に身を固めた信秀の兵たちが

どさくさに紛れ那古野城を奪い取ってしまい

今川氏豊は城を追い出され

京都まで逃げちゃったという。

 

 

那古野城を我がものとし

新たな本拠地を得た

織田信秀、、、

今度はこの近くにあった

商業都市熱田をも制圧。

経済的にはかなり潤っていたらしく

 

彼は朝廷や足利将軍家への献金をしていき

その自らの地位を高め

信頼を勝ち取っていったという。

自分の本家である斯波氏や

直属の上司であった織田大和守家を差しおいて、、

 

かなりの勢いを誇った

信秀は

東にある三河に目を向ける、、。

 

のちにあの徳川家康を生むこととなる

西三河の松平家。

 

その背後には

駿河守護大名の地位を得て

遠江守護までも我がものとしていた

今川義元。

 

信秀は東方攻略を行いながら

彼らとの勢力争いが激化しているなか

今度は越前朝倉氏を味方に引き入れ

北の美濃国攻略を目論み

両面作戦を行なっていく、、、。

 

 

、、、前置きが長くなりましたが

その北方攻略において

木曽川を境に

立ちはだかるのは、、、

 

美濃国で

その2年ほど前に守護大名であった

土岐頼芸のいた大桑城において

クーデターを起こし追い出してしまい

かつて、商人だか寺の坊主だか

何をやっていたのかもよく分からない

得体の知れない男が支配していた頃、、、

 

織田信秀の美濃攻略を阻むべく

このいまは

光得寺と呼ばれる場所において

わずか、、、

一ヶ月だけ

無動寺城という砦が作られたという。

この城において

尾張勢を防ぐべく当たったのは

土岐頼芸の弟である

土岐頼香(よりたか)

木曽川を境に

この無動寺城において

砦として守りを固め

、、

美濃国のあるじは

またも陰謀とも呼べる策を思いつく、、、

 

、、眠いので次回に続きます。

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