1863年

境橋 日本最後の仇討ち場

1855年(安政2年)

神無月、、、

土佐藩の高知城下の

あるお祭りの夜に

事件は起こる、、。

廣井大六という藩士が

釣りの帰り道

 

泥酔した男に突如喧嘩を売られ

刀で斬られた挙句

川に放り込まれ

溺死、、、。

 

斬った男の名は

同じ土佐藩士

棚橋三郎。

 

しかし、、

この時代かなり身分差別に厳しい

土佐藩、、

 

はたして

これは身分の違いからくるものなのか。

その、、一方的な殺人は

「喧嘩両成敗」

という奉行所の判断により

棚橋三郎は藩外追放。

 

そして被害者である廣井家は

家禄を没収され

家名断絶、、、。

 

だがしかし

斬られた廣井大六の息子

 

磐之助16歳、、、

父の恨みを果たすべく

その仇

棚橋三郎を討つ決意をする。

 

槍術修行を名目とし

磐之助は

 

土佐藩を飛び出して

棚橋三郎を探す旅に出る、、、。

 

だが磐之助にとって

かなり厳しい旅であったらしい、、

 

途中行き倒れになったり

もはや

乞食同然の風体で執念としかいいようがない

父の仇敵、棚橋三郎を探す旅は

なんと、、

9年もの年月を経たという。

 

1863年(文久3年)

春、、

磐之助は

 

ぼろ切れのようななりで

大阪に滞在していた

ある男を訪ねる、、、

 

同郷、、、、

 

同じ土佐藩出身

すでに土佐藩を脱藩し江戸へ行ってから

勝海舟の弟子となったという

 

あの幕末の英雄 坂本龍馬。

 

このころ、、、神戸海軍操練所が

発足したばかりの時期

 

坂本龍馬のもとに

廣井磐之助がやってきたという、、、

 

磐之助はその事情を説明すると

龍馬は彼の志を汲み取る、、

 

なんと、、、

龍馬の師匠であり

 

その頃の

日本の最高権力

江戸幕府軍艦奉行

勝海舟が仇討ちに

協力してくれることとなったという。

 

勝は、、

棚橋三郎探索の協力をするとともに

磐之助に

殺しのライセンス?のような

 

仇討免許状なるものを

作成したといいます、、、。

、、、しかし

なんという時代だと

つくづく思いますけれども

 

公式?

日本で最後の仇討ちをしたといわれるのが

この場所らしい、、、、

 

しかし仇討ちに

 

公式と非公式もあるというのが

なんだかよくわかりませんが

その

境橋の仇討ちの場は

その頃と変わらない県境にあります。

目の前にある

わずか数メートルの境橋を境に

和歌山県の反対側を見れば

大阪府、、、

(写真暗くてごめんなさい、、、)

 

ほんとにちょうど

県境にある

境橋という小さな橋、、

磐之助は勝海舟から貰った

この仇討免許状を

懐に収め

大阪にある貧民街を拠点に

父親の仇、棚橋三郎を

探したという。

 

、、、

そしてついに

紀州加太浦において

黒鍬組という

砲台の築造工事の人足の

仕事を請け負っていたなか

 

働いていたひとりの男、、

それが棚橋三郎であるとの噂を聞き、、

 

しかしまともに写真とか

防犯カメラとかもない時代に

よく、見つけられたな、、、

 

ひととひととの繋がりというのは、、

いいものもあればあまりいいものも

ないような気もしますし面倒臭いし、、、

 

不思議なもんです。

だが果たして、、こういうのは

一体なんなんでしょうか、、、、

 

それはともかく

その棚橋三郎はどうもそのころ

その紀州で何か悪さをしたことで

紀州藩に捕らえられていたらしい、、、

 

磐之助は紀州藩の奉行所に

勝の書状を見せたが

紀州藩では

その仇討ちの許可は

得られなかったらしく

 

紀州藩から

もし、、、

仇討ちをするのならば

この男を紀州と和泉の国境において

藩外追放の罰を被せて和泉の国に追い出すから

もしやるなら和泉でやってくれと

伝えられたという。

 

和歌山から大阪へ抜ける紀州街道、、

 

野を越え山を越えるような場所において

いまも何にもない、、、

 

和歌山県と大阪府の県境で

棚橋三郎が紀州藩から放り出されて

この境橋を北へ渡った瞬間

 

棚橋の目の前に

廣井磐之助が現れる。

 

ついに

 

磐之助にとって

父の仇との決闘が

始まる。

多分、、、今ここで撮った場所あたりがちょうど

大阪府に入った位置、、、、

しかし、、、

不思議なもので

仇討とか

義賊(盗賊)?とか

いまでもそりゃ犯罪だろと思いながらも

、、、語り継がれて

魅力ある物語が

探せばいろいろ残ります。

 

こういうのに

心揺さぶられるのは

一体何故なんでしょう、、、。

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