愛知県一宮市にある
山内盛豊という
尾張上四群の支配者
織田信安に
仕えていた男は
息子の信賢に仕え、、、、
浮野の戦いで
織田信長軍と戦って死んだか
黒田城が夜討され
息子の十郎と戦死したのか
それとも織田信賢軍のもとで
包囲され
岩倉城で死んだのか。
いずれにせよ
若き織田信長の尾張統一の
物語のなかで
小さな城の城代として
命を落としましたが、、
しかし
土佐一国の藩主となった男の
父親となるのです。
ここ黒田城で過ごし
彼の三男である
山内一豊。
この地で誕生したそうです。
山内家も
まだ将来定まらず、、、、
結局
浮野の戦いの後は
一豊の兄弟は離散、、、、
一豊も若い頃は苦労しましたが、、、
彼はしかしここから
苦労に苦労を重ねながらも
羽柴藤吉郎秀吉に仕え
、、、少しずつ少しずつ
成長していく、、、、
、、、でもどう成長したのか
特に土佐藩主となってからは
計り兼ねない部分の
あるひとだけれども、、、
しかし、、、
銅像
えっ?
なにこれ
ちょっと!おかしくないですか?
可愛すぎて、、、、
台座でかすぎ
笑ってしまいました、、、
妻である千代も
一豊の嫁になった歳は
今だったら(世間では、、、、)
分かりませんが
大騒動ですね、、、、
昔はすごいな。
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