1755年

竹中伝六喜伯の墓

宝暦治水事件と呼ばれる

1754年 宝暦4年に

江戸幕府が

薩摩藩に命じた
IMG_1851

濃尾平野の乱発する洪水を止めるべく

木曽三川と呼ばれる

木曽川と長良川、揖斐川の治水工事。

 

その過程で工事中に

薩摩藩士51名が自害。

33名が病死という

かなりの犠牲を払った事件。

IMG_1852

薩摩藩の総指揮を務める家老

平田靱負を中心とし

ただでさえ財政が

逼迫していた薩摩藩の財政を

潰しにかかる江戸幕府。

 

せっかく作った堤防を

何度も破壊される嫌がらせ。

薩摩藩士に対する

江戸幕府からの冷遇の指示。

 

これほどの自害者が

1年足らずのうちに出てしまうというのは

 

壮絶な現場でかなりの屈辱や不当な扱いを受けた

薩摩藩士の意地や怒りの声が伝わってきます。

 

、、、、しかし今回紹介したのは

幕府方の方のお墓、、、。

 

岐阜県羽島市の

竹鼻別院という

お寺の境内の中にあり、

春は藤がとても綺麗です。

 

竹中伝六という幕府方の役人で

工事の監視役として赴任していましたが、、
IMG_1850

工事完成後

検分を待つのみであった

宝暦5年正月の13日未明に自刃。

 

享年29歳とのことです。

 

遺書もなく、原因は不明だそうです。

 

監督上の責任を負った

可能性があるらしいですが

 

、、、彼は1年間ものあいだ

目の前で理不尽で悲惨な扱いを受けても

 

きっと黙々と奴隷のように

工事に従事している

薩摩藩士たちを

ずっとそばで見ていたと思います。

 

あからさまな嫌がらせを受け続けた

薩摩藩士総勢947名。

 

工事が完了した時の気持ちは

いかばかりのものか、、、

 

IMG_1853

役目とはいえ、、、

幕府の役人たちにとっては

この1年間、、、、

 

彼らがどう映っていたんでしょうか。

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