1600年

兜塚

まだ織田信長の家臣であった

羽柴秀吉に

若き頃から仕えていた

中村一氏。

 

小牧長久手の戦いにおいて

豊臣軍主力が尾張に滞在していたとき、、

岸和田城ではこの隙に攻め込んできたという

あの鉄砲部隊で有名な紀州根来、雑賀勢を相手に

僅かな兵で守りきり、、

小田原征伐では

秀吉の甥の秀次のもとで

北条軍支城である山中城攻略の

先鋒を務め見事

城を落としたという、、、。

 

彼はのちに豊臣三中老のひとりとして

秀吉により

関東に移封された徳川家康が

 

何を企んでるかわからないからと

見張りとして

かつての家康の領土であった

駿河一国を任される、、、

美濃赤坂にある

兜塚と呼ばれる地、、、

この塚の入り口に建つのは御使者場跡。

江戸の時代、、地元の役人や名主が

中山道を通る大名を出迎えた場所らしい、、、

 

それはともかく

中村一氏は、、、

関ヶ原の合戦において

東軍に属したといいます。

 

だがしかし彼は病に伏し

決戦を前に亡くなり

息子の中村一忠と

一氏の弟である

中村一栄が美濃に出陣。

1600年(慶長5年)9月13日に

徳川家康は江戸からようやく

美濃赤坂に到着。

 

石田三成挙兵から

一月半、、、

西軍にとっては家康が

この地に来るのかこないのか

よくわからない状況だったらしいが

 

とうとう、、、

岡山と呼ばれる地に金扇の馬印が立ったことで

東軍の士気は一気に上がり

西軍の諸将、兵士らは動揺を

隠せない、、

 

、、それを感じた

石田三成の家臣である

島左近。

関ヶ原決戦前夜の14日に

彼は西軍の士気を鼓舞するため

手勢500人と宇喜多秀家の副将

明石全登率いる800人の兵士とともに

大垣城を出て

奇襲作戦を敢行。

西軍と東軍の境界であった

杭瀬川。

島左近率いる部隊は

その杭瀬川を渡り

東軍の兵たちの目の前で、、、

突如、稲刈りを始めたという。

 

こいつら、、、、

なめとるのかと

挑発され西軍の兵たちに

鉄砲を打ちかけて

柵を開いて

自陣から打って出たという

東軍の中村一栄隊。

 

本営である岡山と呼ばれる小高い丘から

徳川家康は

本多忠勝や井伊直政ら諸将たちと

夕食を食べながら

この光景を眺めていたらしい、、、

 

少しづつ退いていく

島左近隊を追い詰めようと

中村隊は

杭瀬川を渡り切ったとき、、、

これまで隠れていた伏兵が現れ

一気に中村隊を攻撃し

退路を絶たれる状況になり

 

中村隊を助けようと有馬豊氏隊も

続けて参戦したというが

そこに現れたのが

西軍の明石全登隊、、、

 

彼らが有馬隊の横槍を突き

深追いしすぎた

中村・有馬隊はどんどん現れる伏兵に

散々打ちのめされ壊滅寸前、、、、

 

焦った徳川家康、、、

ついにあの四天王の一人

本多忠勝が夕餉の席を立ち

彼らを救いに行くこととなったといいます。

そしてこの兜塚、、、

中村一氏に仕えた家老

野一色頼母のお墓だという、、。

 

この戦いのなかで

中村隊を指揮していた

野一色頼母、、

豪傑として知られていた彼は

馬上で奮戦するもついには討ち取られ

この場所で

鎧兜とともに葬られたという、、、。

 

、、、どうでもいいけど

、、、いまもここ掘ったりしたら

兜とか出てきたりするんでしょうか、、、、

結局この前哨戦は

西軍の大勝利、、、

 

島左近らは

悠々と大垣城に引き上げる、、、、、

 

この戦報を聞き、石田三成は大喜びしたという。

 

しかし、、、、その日の夜

徳川家康は

大垣城にいる石田三成らを無視して

このまま西の琵琶湖畔にある

石田三成の居城、佐和山城に向かうと

東軍諸将らに宣言。

 

その情報を得た西軍の諸将らは夜半にかけて、、

東軍の進軍を阻むべく

かの関ヶ原において先回りし

東軍を迎え撃つこととなる、、、

ついに、天下分け目の大決戦が始まります、、、、、。

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