1701年

石井兄弟 亀山敵討遺跡 

先日の誤送信は誠に失礼致しました‥。

今回はほんとです‥

‥今の長野県にあった

信州小諸藩。

あの真田丸でも小諸城とか

出てきた覚えがある‥

そして

現在進行形の漫画の主人公が初代藩主となり

(まだ多分なっていませんが‥なったのかな?)

今も週刊誌でたたかっています。

 

しかし週刊誌や月刊紙で読んでいても

作品にもよりますが

歴史に関するものはとてもじゃないが

雑誌で読み流せるほどの

内容ではなく‥とにかく濃すぎて

どうも‥理解できない事が多いです。

しかしそういう漫画になぜか魅力が湧き

単行本を買い じっくり読みたくなります。

 

 

それはともかく‥

その小諸藩の家臣

石井宇右衛門。

 

延宝元年(1673)

その宇右衛門を

些細な武術の遺恨をきっかけに

暗殺した赤堀源五右衛門。

 

その殺された父、宇右衛門の仇を討つべく

息子ふたり、、

石井三之丞と石井彦七。

 

そのころ行方不明となっていた

赤堀源五右衛門を探すために

仇討ちの旅に出た。

しかし‥前回紹介させていただいたように

その二人の息子たちは

父の仇討ちを果たせ

無念の死を遂げた。

 

だが‥三之丞と彦七には

 

歳の離れた二人の弟たちがいる‥。

 

石井源蔵と石井半蔵。

父、宇右衛門が殺された時

僅か5歳と2歳。

母も病死したらしくその幼児ふたりは

芸州浅野家の親戚に預けられており‥

まだ少年というべき年齢のふたりは

 

その本懐果たせず死んでいった

兄たちの死を聞いた時

どんな思いだったんでしょうか‥

 

しかし源蔵と半蔵は成長し

父の無念を晴らすため

兄たちの遺志を引き継ぎ

再び 仇の

赤堀源五右衛門を探す旅に出たという。

 

「亀山の仇討」

と呼ばれる碑が今も三重県亀山市にある

伊勢亀山城のそばにひっそりと佇んでいます。

 

 

父、石井宇右衛門を殺し

岐阜養老の地で長男 三之丞を殺した

赤堀源五右衛門を

源蔵と半蔵がおそらく探し回っているころ‥

 

この伊勢亀山において

源五右衛門は

馬廻役として藩士たちに武術を

教えていたという。

 

(しかし本当に立派な石垣が残っていました‥

なんかもったいないくらい‥)

「赤堀水之助」

と名を変えた源五右衛門は

亀山藩より150石を賜り

のうのうと?

武術を教え暮らしていたのか

 

それともその石井兄弟らの

報復に怯えながら過ごしていたのかは

分かりません。

 

天和2年(1682)

‥父の死から9年を経て

ついに

三男 源蔵は仇、赤堀水之助を探す旅に出た。

その時14歳‥

 

その6年後の元禄元年(1688)

四男 半蔵は仇、赤堀水之助を探す旅に出た。

その時12歳!?であった‥

(ほんまかいな‥)

 

なんとも言葉が見つからないけれども‥

 

しかし

この仇討ちの旅はもう‥常人には挫けそうになるくらいの

歳月を要します。

 

石井源蔵と半蔵は‥行商人などになり

仇の所在を探すが見つからなかったようですが

それでもついに赤堀水之助の居所を突き止める。

彼は前述のとおり名を変え

亀山藩の家臣として仕えていた。

 

しかしその頃の亀山藩。

誰の讒言なのか それとも

誰かを庇うつもりなのか分かりませんが

藩総出で戒厳令を敷いていたといいます。

 

この戒厳令がいつ始まりいつ終わったのかも分からないし

それが原因かどうかは知らないけれど

 

この亀山宿‥当時は

 

「さびしき城下」

と表現され

東海道五十三次の宿場町としては

どうもあんまり栄えていなかったらしい。

 

それはともかくこの亀山藩の戒厳令。

 

源蔵と半蔵は仇である

赤堀水之助を見つけたはいいが

容易に城下には近寄れなかった‥

 

旅するものは城下へ入ることも出来ず

道中泊まることすら出来る宿もなかったらしい‥

 

源蔵と半蔵は‥

ある亀山藩士の

小姓や草履取りとなり奉公し始め

 

‥ついに兄源蔵はその亀山藩士が江戸に下り

(参勤交代でしょうか?)

主人の供をした時に

元禄11年(1698)11月‥

江戸南奉行所から仇討免状なるものを

正式に得た。

 

そして‥

 

遂にその時が訪れます。

 

途方もない年月を経て

父、宇右衛門が殺されたときは

5歳であった源蔵。

2歳であった半蔵。

 

彼らは元禄14年(1701)

5月9日の朝。

 

赤堀水之介がお城で宿直で

ちょうど下城する時

 

石井兄弟は水之助を討ち取り

 

父と兄の仇討ちを果たしたといいます。

 

兄 三之丞が殺されてから19年‥

父 宇右衛門が殺されてから

 

29年目の出来事であったという‥

今も亀山城下工事中のなかに

石碑が残ります。

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