1930年

人喰い松 

大都会

東京都渋谷区

 

わァ、、、、、

なん年ぶりに来たんだろう。

しかしすごい人混みであった、、

 

元来いなか者で

根暗な性格のためか

どうも落ち着きません。

 

 

ところで、、、

JR渋谷駅の高架下をたどり

代々木公園の方へ向かう

途中にある

この北谷稲荷神社。

 

不思議な形の鳥居ですが

実は鳥居の真ん中にある○のマーク、、

裏から見たら三日月のマークがあるらしいです。

 

行った時は気づかなかったけれども、、、

階段を登ると

 

これはもう、、

目の前には

近代的なビルが建ち

もはや

とてもじゃないけれど

 

神社にいるとは思えない

不思議な気持ちになります。

社殿も現代的な感じです。

神社から見える代々木競技場、、

この神社に

かつて渋谷道玄坂

いまは、、、

スクランブル交差点のあたりに

あったという

「人喰い松」

と呼ばれ

 

昭和の時代に入っても残る

巨大な松の呪いの物語、、、。

 

その松はかつてその枝ぶり見事で

そばにはお地蔵さんもいて

旅のものや農民たちにとっては

憩いの場所でもあったというが

大正時代にこの松を切ろうとした家族、、

彼らは奇病によりその生命を落とし

 

昭和初期においては

区画整理による道路を拡張しようと

そこにあった6メートルの巨大な松、、

 

地元の人たちはその松に触れると

祟られるから

関わらないほうがいいと反対したにも関わらず

 

その呪いを信じていない町民たちもまた

人喰い松を切ろうとし

奇病に襲われたらしい。

、、

 

当時の新聞にも載ったというこの松、、

 

結局

世田谷にいたどうも祈祷師のような

姉妹がいて彼女らに神のお告げがあって

実は枯死寸前であったというその松を

救ってほしいという話や

 

誰かがその人喰い松の名を

出世松という景気のいい名に改めたりと

祭壇や灯籠、お神酒で

神木として祀り

弁財天や龍神として崇めたという話もあり

その後この松の呪いは解かれ

人喰い松であった出世松は

道玄坂から神南町へ

無事移転することができたという。

 

だが、、その松ものちに

枯死してしまったといいます。

 

しかし枯れたけれども

神となった

人喰い松は

そののちも

効験あらたかで

近隣や地元の人たちからも

宇田川出世弁財天と呼ばれ

崇められたという。

 

また戦災のあったのち

昭和50年ごろ、、

行方不明となっていた祠が

 

どこかから発見されて

この北谷稲荷神社の片隅に

いまも残されています。

 

東京のど真ん中にある

この祠に

お賽銭を投げて

ひっそりと参拝して来ましたけれど

、、

果たして出世、、

できるんでしょうか、、

できる気がしてきた気がしてきた、、、







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