長篠城の近くにある
蟻塚と呼ばれる場所はいま
、、よく、、毎日いつも
うちの近所にもあるので
お世話になっている
その、
アルコールも安いし、、
薬局と民家の間に
なんとも
違和感丸出し、、
狭々しく変なかんじで残っています。
この塚のあたり、、
長篠の戦いで
戦死した兵たちを埋葬したといわれます。
きっと、、、
祟りというもの?を恐れて
確かにあり得なそうであり得る感じは
今もってあるのかもしれないと
感じることはありますけれど
何とかこの現代でも
この塚は残そうと
そんなはたらきも、、
あったのかもしれませんね。
知らんけど
しかし
その戦死者を埋葬したはいいが
この地から
大量の蟻が群がるように
発生したのは
それこそ祟りではないかと
この石碑を建てて
供養したという場所。
長篠の戦い、、、
武田信玄が死に
織田徳川軍の脅威であった
武田軍の西上計画は頓挫、、
その信玄の跡を継いだのは
武田勝頼。
そのとき武田家と徳川家に
挟まれていたのは
奥三河
山家三方衆といわれる豪族の集団。
戦国の混乱の時代
このあたりで団結して
外部からの侵略に
対抗すべく
そのまわりの一番力のある大名に
機転を効かせながら
次々と君主を替えていき
与していったという。
奥三河の運命共同体であった
彼ら山家三方衆、、、
だがそれは
少しづつ綻びをみせはじめていく。
三河 田峯城のあるじとして
菅沼定忠はもともと
徳川家康の配下となっていたものの
武田信玄の西上作戦において
武田軍につき三方ヶ原の戦いで
快勝し
人生の中で一番輝いていたのかも
しれないとき、、、
だがしかし
そのまま武田家の没落に乗じ
その人生を終えることとなり
その同族であった
菅原正貞も
山家三方衆のひとり。
彼もまた菅沼定忠とともに
一度は思いとどまるが結局
徳川家康を裏切り
武田家の傘下へと入る事となる。
菅原正貞の居城こそ
長篠城。
この城を築いたといわれる
菅原元成の
やしゃごだという、、
もうひとり
作手(つくで)と呼ばれた地を
本拠としていた
奥平貞能(さだよし、、定能?)、、
彼の父は徳川家康のおじいちゃんに
仕えていたというが
そのあと
遠江 今川氏に仕えたり
あの桶狭間の戦いで
今川義元が敗れてから
織田信長の同盟者であった
三河の徳川家康に仕えて
徳川軍として
あの有名な姉川の合戦にも
参戦したという。
だが武田信玄が
その今川義元亡き後の
今川家の混乱に乗じ
駿河侵攻を開始。
そのころには
姉川の戦いで徳川軍についていた
奥平家は徳川家を裏切り
武田家へと寝返って
今度は
三方ヶ原において
徳川軍を相手に戦ったといわれます。
その立場、その時の状況で
生き抜くために
知謀の限りを尽くし
強国と強国に挟まれている
その山間にある山家三方衆は
主君を次々と変えていく。
だが、、転機が訪れるのは
武田信玄の死が
確実なものとなったのを
徳川家康が知ったころ、、
信玄の遺言で我が死を3年は秘せよと
指示したにも関わらず
僅かひと月程で
その死は世間で噂になったという。
家康はそのとき
武田軍に仕えていた
作手の城主
奥平貞能に
ある相談を持ちかけてくる。
もし武田軍を撃退した暁には
この奥三河のすべてを
任せるから
味方になってほしい。
ついには
家康の愛娘である亀姫を
貞能の息子である
貞昌。
(、、のちに加納城城主となる奥平信昌です、、
めんどくさいので信昌で書きます)
奥平信昌の嫁にどうかとご提案、、
たかが山奥の山賊のような?
田舎大名に人質?
を送るという徳川の秘策、、
徳川家康が自らの娘を
奥平家に輿入れさせるといわれた
貞能は仰天。
むしろ貞能が困惑し
かしこまってしまう状況では
なかったのではなかろうか、、、
そこまで家康が
山家三方衆の山間の土豪である
我が奥平家に
目をかけてくださるとは
夢にも思わなかった貞能、、
、、ついに武田家を裏切り
徳川家につくことを決断。
そのあと徳川家康は
武田軍の配下となっていた
長篠城城主であり
山家三方衆のひとり
菅沼正貞を長篠城から追い出し、、
その奪い取った長篠城は
奥平貞能の息子である
わずか20歳の信昌が城主となり
彼は、、
その前に出会ったのかそれともまだ見ぬ妻
亀姫との結婚を前にして
徳川軍と武田軍の境の最前線の城。
ここ長篠城において
壮絶な籠城戦を繰り広げることとなります。
奥平貞能、信昌親子の
徳川家への寝返りに
激怒した武田勝頼。
彼は1万5千万人もの兵を率いて
その長篠城を奪取すべく
包囲戦が始まる。
長篠城を守る
たった500人の奥平信昌、、
この人数では
長篠城が落城するのは時間の問題、、
徳川家康ははたして
援軍をよこしてくれるのか。
とにかくもう何の情報も
入ってこないまま
徳川家康に命を預け城を守る
奥平信昌。
桁外れの武田軍に
囲まれながら
その猛攻を防いでいる、、
まさに
蟻の踏み入る隙間もない長篠城。
だがそのとき
ひとりの男が声をあげる。
その奥平信昌の部下で
自ら
すてごまとなって
家康に援軍の進捗状況を
確認しに行ってきますと
志願した足軽がひとり。
彼の名は鳥居強右衛門(とりいすねえもん)
彼はこれから
走れメロスのような
行動を起こすけれども、、
それまで、、
名もなき男は
いまもこの長篠城の前にある
看板において描かれ
このいくさのあと
英雄として名を残す、、、。
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