「霧ヶ城」
とも呼ばれるこの城は日本三大山城の一つとして数えられ
源頼朝の時代から室町、戦国時代
また江戸時代から明治時代に至るまで
数多くの城主が入れ替わり立ち替わり、、
、、、時代のうねりに巻き込まれながら
明治の廃城令で解体されるまで
かなり古い歴史を持った城だそうです。
(あとから思えば壊すなんて、、なんと勿体ないことしたんだろう、、、しかたないけど、、)
今も石垣が綺麗に残っています。
またこの城の城下町も昔の面影を残して
綺麗に残っていました。
朝ドラの舞台として有名になりましたね。
土日とかは賑やかなんだろうけど
なんでもない平日の夕方は、、、、
人影もまばらで
五平餅食べたかったけど
どこも売り切れでした、、、
これは薬屋だったっけな、、、
大山巌大将、、確か君が代を国歌にしたひとだったと思う、、
目薬と何か関係があるのであろうか?
、、、そして何より後悔したのは
この城にきたはいいですが、、、あの
名城100選の冊子を忘れてしまい、、、、
スタンプも押せなかった、、、
また来よう、、、スタンプと五平餅食べに、、
、、この城が霧ヶ城と呼ばれたのは、標高717メートルという
かなり高いところに築かれ天嶮の地形を活用するとともに
霧が湧きやすい気象を巧みに利用したとされる鉄壁の城、、、
この城には
ある伝説が残り
この城には17箇所の井戸があり、そのなかで
城主しか使えない霧ヶ井と呼ばれる井戸は
敵がこの城に攻めてきたとき
城内秘蔵の蛇の骨を霧ヶ井に放り込むと
たちまち雲霧が城を覆い城を守ったそうです。
、、そして、この城の歴史の中で
戦国時代に現れる
今も語り継がれた
女城主がいます、、、
戦国の時代
岩村城城主であった遠山景任。
1570年に織田VS武田との戦いのなかで
武田信玄の二十四将 秋山信友(虎繁)が
東濃に侵攻してきます。
しかし景任は織田軍、明智光秀の力を借り
秋山を撃退するそうです。
、、、しかしそのあと景任は病気で亡くなり
残されたのは妻である
おつやの方、、
彼女の出自は
なんだかややこしいが
織田信長の年下の叔母だったそうですが
景任との間には子は出来ず
織田信長の五男の御坊丸を婿養子として迎え入れ
彼女は
幼い御坊丸の後見とし
実質的な城主として領地を治めていたそうです。
また、彼女は聡明であり絶世の美女だったという噂があります。
領民からも慕われていたそうで、、
1572年(元亀3年)に再び秋山信友は再び岩村城を侵攻。
夫を亡くし、御坊丸の代わりに采配を振るっていた
おつやの方は
信長軍の支援を待ち籠城。
だが
いつまでたっても援軍は来ない、、、
籠城し3ヶ月、、、、
城内の食料も不足しはじめた頃に、、
そろそろ内部でもやばかったんでしょう、、、
秋山信友は岩村城の「無血開城」を約束したうえで
おつやの方に
降伏するように申し入れてきます、、、
しかし
おつやが武田軍の敵将、秋山信友の妻となることが条件だった、、、
、、、おつやは悩んだでしょう、、、、
、、、彼女はそのとき何を「一番大事」に考えていたのか、、、
苦渋の決断をします。
城兵や領民を守るために秋山との結婚を決意。
この時点でおつやは織田を裏切ったこととなる、、、
信長の息子であり、彼女の息子である
御坊丸は武田信玄の元へ人質となります。
それを聞いた信長が何を思ったか、、、、
結局、武田信玄亡きあと
あの有名な長篠の戦いで
武田軍は大敗、、、
その後織田と武田の勢力は逆転し
信長の嫡男、信忠が岩村城を半年かけ
陥落します。
敗軍の将となった秋山信友は、、
信長から助命を約束され甘い言葉にそそのかされ
城を明け渡したはいいですが
信長は年下の叔母であるおつやの方の武田軍への裏切りが
よほどショックだったのか、、、どうか
信友は岐阜長良川の河川敷で逆さ磔となり処刑、、
おつやも結局
信友と一緒に磔になったとも
信長の怒りはおさまらず、信長は彼女を直接斬ったとも、、、
岩村城を守るために揺らぎまくった彼女の悩みと決断は
いい方向には向かないまま終わってしまいましたが
この城の長い歴史のなかで今も語り継がれており
今も、、
このへんで醸造している日本酒の銘柄にもなっているようです、、、
今度行ったら飲んでみよう、、、か?
みたい、、、
誰かかわりに運転してください。
この記事へのコメントはありません。