1571年

十七条城

最近巷で噂になっている映画、、、

ようやく岐阜に上陸したので早速
観てきました。

低予算でこれほどの脚本やアイデアを練って

もちろん役者さんも含めて、、最初はビミョウに混乱しながら、、

見終わったあとは、、、

 

 

素晴らしい映画を撮ったなあと感じました。

こんな映画、滅多に観られないなと思うと同時に

これから先、低予算で映画作る人たちにとっては

ハードルが上がるほど大変な映画だと感じるくらい凄かった、、

もう一度見たいなと思い、、、

 

 

予告編を観直しただけで、、たかが何十秒の映像で

笑いが止まらないなんてこんな現象はそうそうない、、、

 

本当に映画愛に溢れる映画でした。

 

ところで、、、、

映画の帰り道に行ってみた

この城跡、、、

今は神社になっています。

 

稲葉正成という武将が

彼は1571年(元亀3年)に

ここ十七条城で生まれたそうです。

 

 

彼は豊臣秀吉に仕えてから

朝鮮出兵で小早川秀秋の家老となります。

 

関ヶ原の合戦では西軍であった

 

小早川秀秋を説得し東軍に寝返らせたそうです。

しかしその後は小早川秀秋とは不仲になったようで

浪人となりますがのちに

徳川家康の家臣となり

ここ、岐阜県瑞穂市にある

十七条において

十七条藩の領主となり

大阪夏の陣でも活躍されたそうです。

 

彼はもともと林姓で生まれましたが

隣の領地である稲葉家との争いがよくあり

彼が橋渡しとして稲葉家の稲葉重道のもとに(稲葉一鉄の息子です)

婿養子として入ったそうです。

しかし、正成の妻である重道の娘は早逝し、、、

正成は後妻として

義父、稲葉重道の姪である

「福」を妻とします、、、

 

そうその福こそ、、、

明智光秀の重臣として

本能寺の変ののち山崎の戦いで敗れ

六条河原で磔にされた斎藤利三。

彼の娘として生まれ

のちに徳川三代将軍 徳川家光の乳母として

権勢を振るう

春日局、、、

稲葉正成、、、

将軍家の乳母になるため、、正成とは離婚したそうですが

彼にとっては

あとから思えば、とんでもない女を妻にしたと

びっくりし喜んだか、後悔したか、、、知らんけど、、

また福にとっても、、

将軍家にいくまえとか、、どんな思いを抱えていたんでしょうね?

 

まあひとそれぞれ、、、、

これから歴史の転換期を迎えるんかなぁ、、?

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。



















記事をメールで購読

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。




  1. 1584年

    長久手古戦場
  2. 1567年

    黄金の織田信長 像
  3. 1600年

    大塚権太夫の塚
  4. 1950年

    口紅の碑
  5. 1755年

    竹中伝六喜伯の墓
PAGE TOP