1858年

津崎村岡局の銅像

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京都嵐山、、、

あの有名な竹林をくぐり

しばらく歩くと

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この強烈なインパクトのある銅像に

出会う事となります。

 

なんだこの貫禄はと、、

きっと誰もが

なんだこの女性?の

銅像はと

多分感じるであろう

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彼女の名前は

津崎矩子。

幼い頃から由緒ある近衛家に仕え

幕末の女性勤王家として

活動されたそうです。

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こんな女性がいたんか、、、

とびっくりしましたが

 

それよりも

もっと仰天したのは

この方、その幕末には

もはや おばあちゃん、、、、、

 

あの幕末、、、

かの有名な米国艦隊がやってくる前から

幕府内でも

揉めに揉めて

それがまだ続いているような頃、、

 

あの西郷隆盛や梅田雲浜と交流をもち

おまけにあの江戸幕府

13代将軍、徳川家定の

正室、篤姫の

養母も一時期されていたという女性。

 

彼女は12歳頃から近衛家で仕え

身も心も骨の髄まで勤王家として

ただ一点の曇りもなく

突き進んだんでしょうか。

 

安政の大獄。

ペリー率いる黒船がやってきて

幕府は独断で日米通商条約を取り決めたり

家定の次期将軍を勝手に決めたりと

身勝手な政策に腹を立てた人たち、、、

しかし、、

幕府は逆らうものを

ことごとく弾圧していきます。

その元締めが

大老 井伊直弼。

 

この人も近江彦根藩の

井伊家の十四男(!?)として

 

彦根城下で32歳まで

部屋住みだったそうです。

以前記事で紹介した

足利義教もそうですが

もともと権力に縁の無かった大人が

大人になってから強大な力を得ると

何かしら反動というかなんでしょうか、、、

 

庶民が宝くじで

3億円当てて人生が変わる、、、、

みたいな感じでしょうか?、、、

いや、、違うか、、、

 

その安政の大獄で村岡局も処罰を受け

押込30日、、、、自宅軟禁だそうです。

このときすでに72歳だったという、、、、

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「近衛家の清少納言」

と呼ばれた彼女は

 

幕末から明治に変わる時代を

その目で見て

明治6年まで長生きされたという。

 

こういう、、なんというか

 

なにかくるなにかにブレることなく

情熱の塊のような人がいると

 

目標や目的が何であれ

何をするにも

年齢なんか関係ない

て思いたいです、、、、

 

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