1556年

明智城 

「麒麟がくる」

 

再来年の大河ドラマの主人公となる男は

ここ、明智城で誕生したそうです。

 

(他にも生誕伝承の地があるみたいです)

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彼は

織田信長に仕えるまでの前半生は

謎に包まれ、分からない事が多いといいます。

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もともとこの城は

長山城と呼ばれ

 

美濃守護大名であった

土岐頼清の次男

頼兼が

1342年に築城。

代々その子孫が

居城にしたとされますが

IMG_2199

斎藤義龍。

美濃守護斎藤家の嫡男として

斎藤道三から

家督を引き継いで

稲葉山城の城主となります。

しかし、、、

 

父から無能と評され

常に疎まれて

馬鹿にされてきたようです。

 

また斎藤道三が

本当の父親かどうかも

定かではないという噂も

彼の耳には入ったことでしょう?

 

 

とどめは、、

道三は美濃一国の大名である

義龍を廃嫡して

稲葉山城の後継者を替えようとします。

 

、、、、

ついにブチギレた義龍

なんか気持ちは分かります、、、、

気持ちは、、、そりゃ切れるわ、、

なんとなく
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これまで積み重なった

鬱憤もあったと思います。

 

父、道三を倒すため

長良川にて戦うこととなる。

 

マムシと呼ばれながらも

下克上を果たした男の最後は

どんな思いが

脳裏をよぎったんでしょうか。

 

そして

当時の明智城代であった

明智光安、、

 

彼の妹が道三の正室だったこともあり

道三とは切っても切れない関係のなか

 

同じ時期に義龍は

ここ明智城に攻め込み

この城を落城させたそうです。

 

 

明智一族はこの時点で滅亡、、、

しかし
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その光安の甥であった

光秀。

 

彼は斎藤道三に仕えて

いたそうですが

 

いくあてもなく

 

この先

何が訪れるかも分からぬまま生き残る、、

 

木曽川を挟んで

尾張の地では

道三から死ぬ前に

 

国譲り状と言われる

遺言状を受け取ったのは織田信長。

 

、、二人が出会うのは

まだ先のこと、、、

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