あの有名な
墨俣城と同時期に
築城されたのにも関わらず
ほとんど日の目を見ない?城跡が
岐阜県、岐南町にあります。
こちらも一夜城と呼ばれ
織田信長の美濃攻略のために
羽柴秀吉が作ったそうです。
そしてもう一つ
本能寺の変が起こったとき
羽柴秀吉が
明智光秀を山崎の戦いで破り
賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を打ち破ったあと
織田信雄、徳川家康連合軍との
重要な砦として
部下であった
伏屋市兵衛に
この城を守らせたようです。
伏屋市兵衛は
もともと織田信忠の部下だったそうですが
本能寺の変で
信忠は
信長のあとを追うように
二条城で命を落としてしまいます。
伏屋市兵衛はそのあと
織田信雄に仕えましたが
1584年(天正12年)
小牧長久手の戦いでは
織田信雄を見限ったのか、、、
羽柴秀吉の甘い誘いに乗ったか
人誑しと呼ばれたこの男が
市兵衛に何を言ったのかは
わかりませんが
いずれにせよ
織田信雄と決別し
羽柴秀吉に仕え
その後
池田輝政の部下に
なったといいます。
子々孫々、、、、
この城の辺りは
現在も伏屋姓が多いみたいです。
、、
しかしこの場所
竹と木に囲まれ
中にはとてもじゃないけど入れません。
土塁が残っているとのことですが ↑これかな?
、、せっかく来たけど
道端から竹藪を撮っているだけ、、、
ほとんど整備はされていないようです。
誰の土地かは分かりませんが
せっかくなので
ベンチの一つでもあるといいのに、、
何とかしてください岐南町、、、
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