秀吉が初めて城を持ち
築城や城下町の基礎を作ったという
長浜城。
こんな感じだそうです。
水の都とも言えるほど
琵琶湖の湖畔にできたこの城は
城内に水門があり
直接船で城に入れる様な
仕組みだったそうです。
ドラクエみたい、、、、。
この頃秀吉は
木下の姓から羽柴に改めたそうです。
子供はいなくとも
明るい未来を描いていた
秀吉と妻のおね(ねね?)
、、、きっと
二人にとって
きっと一番楽しかった時期ではないでしょうか?
だがこの長浜城ですが
天正13年11月29日
天正地震により
城は全壊。
、、しかし人柱となった
おかねさんやおきくさんの死は
一体なんだったんだろう、、、
その地震の時の城主は
山内一豊。
しかしこの人なんか凄い、、、
あまりうだつも上がらないなかで
この戦国時代では色々なところで顔を出して
色んな人とかそこらじゅうで
絡んでいき
最後は
土佐の藩主になることになるという
立身出世を
絵に描いたような武将で、、
だがしかし
大きな武功もなかったという
不思議な人です、、、、、
妻である千代のおかげでしょうか?
現在建てられている城は
1983年に建てられた城だそうですが
ちかくには
おっかない顔した豊臣秀吉が側にいました。
ところで
この長浜城を建てた
羽柴秀吉。
たたき上げの彼は
ここ長浜で
有能な部下を探そうと
積極的に人材を登用していたそうです。
そして、、、、
彼が鷹狩りの帰りに喉が渇き
途中で立ち寄った寺で
ある少年と出会う。
、、
名を
、、、、佐吉といいます。
次回へ続く、、、、
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