「名人」とかつて呼ばれ
13歳の若さで
織田信長に仕えながらも
本能寺の変ののち
豊臣秀吉に仕え
数々の戦場で活躍した
掘秀政の誕生した城跡です。
彼はかなりのイケメンで
頭も良くそれを見抜いた信長からも愛され
側近となり
本能寺の変ののちは
秀吉からも重宝される
スーパーエリートの様な人生を送りましたが
残念なことに1590年(天正18年)に
小田原征伐の最中
あっさりと38歳という若さで陣中で亡くなります。
そして
彼には死ぬまで常に側に仕えていた
奥田直政という
6歳年上の幼馴染?
がおり、共に一緒に育ち
先に手柄を立てたほうに
協力するよう
叔父に言われたそうです。
そして、6歳年下の掘秀政が先に手柄を立て
(何かはわかりませんが)
奥田直政は終生、秀政の側で
堀家を盛り立てていくのです。
二人は一緒に多くの有名な合戦に参加し
秀政が亡くなってからは
豊臣から徳川に近寄りつつも
あの有名な直江兼続
奥田直政の目線から考えたら
きっと直江兼続は、、、
結構理不尽なことをしているみたいで
上杉家が
会津への国替えの際には
米を全部持って行ってしまい
上杉家の去った越後へ
堀家が引き継いだあと
食べていけないので
米を代官から借りたり
一揆を煽られたり、、、えぐいな、、、
きっと憎ったらしい存在だったと思います。
いろんな角度から見ると
それぞれ自分の正義とか
政治的な何かとか考えとか
、、、
理由や言い分はあるでしょうが、、、、
しかし、、、
偉い人でも
あんま昔も今も人ってやってること
変わらんなあ、、、、
若くして死んだ掘秀政の陰にも
あんまり有名でもない
奥田直政という
堀家を守ろうという侍がいたことに興味がわきました。
おやすみなさい。
この記事へのコメントはありません。