1553年

上茜部城

「名人」とかつて呼ばれ

IMG_1879

13歳の若さで

織田信長に仕えながらも

本能寺の変ののち

豊臣秀吉に仕え

数々の戦場で活躍した

掘秀政の誕生した城跡です。

彼はかなりのイケメンで

頭も良くそれを見抜いた信長からも愛され

側近となり

本能寺の変ののちは

秀吉からも重宝される

スーパーエリートの様な人生を送りましたが

残念なことに1590年(天正18年)に

小田原征伐の最中

あっさりと38歳という若さで陣中で亡くなります。

IMG_1877

そして

彼には死ぬまで常に側に仕えていた

奥田直政という

6歳年上の幼馴染?

がおり、共に一緒に育ち

先に手柄を立てたほうに

協力するよう

叔父に言われたそうです。

そして、6歳年下の掘秀政が先に手柄を立て

(何かはわかりませんが)

奥田直政は終生、秀政の側で

堀家を盛り立てていくのです。

二人は一緒に多くの有名な合戦に参加し

秀政が亡くなってからは

豊臣から徳川に近寄りつつも

あの有名な直江兼続

奥田直政の目線から考えたら

きっと直江兼続は、、、

結構理不尽なことをしているみたいで

上杉家が

会津への国替えの際には

米を全部持って行ってしまい

上杉家の去った越後へ

堀家が引き継いだあと

食べていけないので

米を代官から借りたり

一揆を煽られたり、、、えぐいな、、、

きっと憎ったらしい存在だったと思います。

いろんな角度から見ると

それぞれ自分の正義とか

政治的な何かとか考えとか

、、、

理由や言い分はあるでしょうが、、、、

しかし、、、

偉い人でも

あんま昔も今も人ってやってること

変わらんなあ、、、、

とか思います。
IMG_1878

若くして死んだ掘秀政の陰にも

あんまり有名でもない

奥田直政という

堀家を守ろうという侍がいたことに興味がわきました。

おやすみなさい。

関連記事

  1. 1553年

    聖徳寺跡

    「聖徳寺の会見」斎藤道三が…

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。



















記事をメールで購読

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。




  1. 1584年

    庄九郎塚
  2. 1863年

    境橋 日本最後の仇討ち場
  3. 1575年

    鳥居強右衛門 磔死之趾
  4. 1548年

    三井山城
  5. 1637年

    本多上野介正純公 父子之墓碑
PAGE TOP