越中征伐と呼ばれ
小牧長久手の戦いのあとに
徳川家康を屈服させ
四国の長宗我部元親を攻略し
少しづつ天下を自らのものにしていく
過程のなか、、、、
豊臣秀吉が
次にターゲットに選んだのは
佐々成政。
彼は越中富山城を本拠地として
抵抗を試みます。
秀吉は飛騨攻略を
金森長近に命じ
長近は、ここ向牧戸城を攻めることとなります、、、。
今年の1月に行きましたが
、、、とてもじゃないけど
雪が積もって、、あの目の前にある
本丸跡までは辿り着けません、、、
登りきれず途中で断念、、、
そしてこの向牧戸城を治める
飛騨国の大名
内ヶ島氏理、、、
彼は向牧戸城に
家臣、川尻氏信を守りの要に置き
金森長近軍の侵攻を防ごうとしますが
川尻氏信は
ちょうど
内ヶ島氏理は
越中にいる佐々成政を
助けようと
この地にはいなかったらしく
戦後、、
居城であった
帰雲城を奪われますが
金森長近の力添えもあり
秀吉から許され
所領の安堵をされます。
許された内ヶ島氏理、、、
秀吉との和睦が成立し
宴の席が帰雲城で開かれます。
もう城を奪われたとき
人生終わった、と思ったでしょうね。
寛大な秀吉の処置で
彼の喜びはいかほどだったでしょうか!
しかし
あっさり?向牧戸城を明け渡してしまった
川尻氏信は
氏理の怒りを買ってしまっており
宴の席には呼ばれなかったといいます。
それが天正13年、11月29日。
この日が彼らの
運命を分ける日となる、、、、、。
その内ヶ島氏理の居城であったという
帰雲城。
しかし、、、
この城趾には心惹かれるものがあります。
合掌造りで有名な世界遺産の
白川郷。
そこからさほど遠くない場所。
、、、この城には今も夢とロマンが詰まった物語が
今も続いているのです。
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