1556年

土田御前 生誕の地

日ごろの疲れを、、、

癒しにと

向かったのは

岐阜県可児市にある

あのばかでかいスーパー銭湯?

湯の華アイランド、、

その玄関には

可児市すごいですね、、、

来年にむけて気合いが入っています。

復権とは、、、

 

それはともかく

途中、この地で見つけたのは

黄金色に輝く母子の像、、

織田信長の生母、土田御前の生まれた地だそうです。

慈愛に満ちた土田御前の抱いている

赤ちゃん、、、

あどけない表情で

、、のちにうつけだの

第六天魔王だの

いわれるようになる、、、、

だが、彼は成長するにつれ、、、

母の愛情をこんなふうに

受けていたのかどうか、、、

 

土田御前、、、

信長を嫌い

実の弟である勘十郎を溺愛したそうです。

彼は信行という名前が

有名だそうですが信勝とか達成とか

どの名前が本当か

色々あるみたいで、、

そのなかには

織田信成という名もある、、、

 

1552年(天文21年)

父、織田信秀が流行病にかかり

42歳で死去。

 

有名な話ですけど

その父の葬儀において

信長は太刀と脇差を荒縄で巻いて

髪は茶筅髷、、

袴も履いておらず

その手に掴んだ抹香を

仏前にぶちまけたといいます。

 

それとは対照的に

弟である信行は折り目正しく礼にかなった作法を

したという。

 

信長のこの行動に誰もが反発、、、、

参列者皆がこいつは

大馬鹿者だと言うなかで

九州から来た僧ひとり、、、

信長のこの行動に対し

こいつは只者ではない、立派な大名になるであろうと

予言したという、、、、。

(ほんまかいな、、、)

信長は18歳、、

父の死後、家督を継ぐこととなりますが

尾張守護 斯波義統のもとで

実質的に実権を握っていたという

守護代である織田氏

その守護代である織田氏のなかでも

対立。

上四群を支配する伊勢守家

下四群を支配する大和守家、、

まだ小さな那古野城にいる

信長は

その清洲城を拠点とした

下四群 大和守家に仕えている

父、信秀から受け継いだ小さな奉行職の立場、、、

 

信秀が死んで1年経ち、、、

鳴海城の城主であった山口教継、教吉親子が謀反を企て

かの今川義元に寝返ったり

その今川義元の駿河勢が領内に侵攻してきたり

 

身内のなかでも

守護代である

織田大和守信友が

主家であった斯波義統を清洲城で

殺害してしまいます。

信長は叔父である信光と手を組み

信友を討ちそのあと信光も不慮の事件で

命を落としたという、、、

信長は清洲城を乗っ取りますが

まだまだ尾張は

混沌としている状況、、、

そして

1556年(弘治2年)

4月

美濃において

信長の後ろ盾であり舅であった

斎藤道三が敗死し、、、

そのあと新たな美濃の国主となった

斎藤義龍が

尾張上四群を支配する

織田伊勢守信安と手を組むこととなる、、

 

この状況で

織田弾正忠家を

信長はまとめられるわけがないと

亡き父の居城、末森城にいた

弟、織田信行とその家臣たち、、、

(そのなかにはあの柴田勝家もいたといいます、、、)

彼らは清洲城にいる信長に戦いを挑み

8月に

稲生原において合戦が始まります。

 

信長方は手勢700名ほど。

それに対し

信行方は1700名、、、

しかし

信長軍は2倍以上の兵力を討ち破り

信行軍は敗走したといいます。

 

裏切り者であり

敗軍の将となった弟、信行。

しかし彼は自分の母

信長の実母でもある

土田御前のとりなしにより

一度は命を救われます。

 

だがそのあと、、

再び謀反を企てた信行は

仮病を装った

信長に清洲城に誘われて

殺されたという、、、

 

その信行の息子である

織田信澄。

このとき僅か2歳、、、

将来、、父の仇である叔父信長の

右腕として働き待遇も厚かったといいます。

あの明智光秀の娘を娶り

近江大溝城城主となりますが

本能寺の変のあと

なんとも不幸な死を遂げる、、、。

 

息子が息子に殺されるという

(この時代は当たり前だったかもしれませんけれども)

あまりしたくない体験をした

母、土田御前。

最愛の息子、信行を失ったショックは

余程のものだったとは思いますが、、

 

それから、、、、

孫たちの面倒を見たりして

息子信長よりも長生きをし

天寿を全うしたらしい、、、

 

そして、上四群の伊勢守家守護代

織田信安。

 

このころ斎藤義龍と手を組んでいたらしいが

 

信安もまた、、、

長男である信賢ではなく

次男の信家を後継にしようとしたことで

面倒臭いことになり結局、、、

 

息子の信賢に尾張を追い出されてしまいます。

 

そして遂に織田信賢は

下四群を支配した織田信長と

尾張統一をかけ

浮野の地において決戦、、、、、

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