74年

八坂入彦命墓

岐阜市から東濃に向かう道中、、、、

ふっ、と見つけたのはなんだか

聞いたことのない方のお墓、、

(はいれません、、はいれそうですが)

岐阜県可児市

久々利(くくり)にあり

かつては

八坂入彦(ヤサカイリヒコ)という方が

この辺りを統治していたという、、。

彼の父は

第10代 崇神天皇。

ヤマト政権において四道将軍と呼ばれる

部隊を作り

版図を広げるとともに

税金(お金ではなく肉とか皮とか、、女性は織物とか、、)による

国家財政の制度を確立し国内の統治を

図ったといわれます。

その崇神天皇の息子である

八坂入彦には美しい娘がふたりいて

姉、八坂入姫(やさかのいりひめ)と

妹、弟姫(おとひめ)

、、そして12代天皇である

景行天皇が美濃行幸をした際に

妹である弟姫を見初め

このお墓の近くにある泳宮(くくりのみや)

というところに誘い

池に大量の鯉を放ち

彼女に喜んでもらって

口説いたらしいが

弟姫は

断っちゃったらしい、、、

 

74年(景行天皇4年)←(まだ元号が使われていない時代で

西暦もなんか、、、、変な気持ちになる、、)

替わりに

姉である

八坂入姫が景行天皇の妃になることとなるという、、、

その姉はのちに皇后となられるらしいが

景行天皇の誘いを断ったといわれる妹の弟姫、、

この辺りのむかし話だと

弟姫は姉が

景行天皇とともに都に去ってから、、、

昼間は引き篭もり

日が暮れてから髪を振り乱し

月を見ながら泣いていたり

山の中で取り乱したりという姿を、、

何人かの村人が目撃、、

しまいには

大蛇に連れ去られたといわれます、、、、

、、、、

話は変わりますがその

12代 景行天皇。

彼は艶福家でこの美濃において

またどこかの違う姉妹が

美人だという噂を聞いて

その視察?に息子である

大碓命(おおうすのみこと)を遣わしたらしいが

その大碓命、、、

父の命令に背いてその姉妹を

自分のものにしてしまったという、、、

しかも父親には偽りの女性を献じたらしい。

(無茶苦茶やな、、、)

 

大碓命には双子の弟がいたらしく

名を小碓命(コウスノミコト)といい

景行天皇は大碓命が

最近食卓にも出てこないので

たぶん、気まずい仲で、、

父は兄を諭してこいと

小碓命に伝えたそうです。

 

、、すると小碓命は

兄である大碓命をつかみ潰して殺し

手足をもいで

便所に捨ててしまったという、、、

(これも無茶苦茶、、)

ぞっと恐れおののく景行天皇、、

(そりゃそうだ、、、)

 

そして、、

小碓命は父から恐れられ疎まれ、

遥か九州の熊襲(クマソ)征伐に行くように

命じられたといいます。

その小碓命こそ

のちに古代日本において

日本武尊(ヤマトタケルノミコト)

と呼ばれる英雄。

 

、、、兄、大碓命については

もう一つ違う話があります。

実は生きており

景行天皇が

今度は東北、蝦夷を征伐するときに

大碓命に出征を命じたらしいが

大碓命は怖じ気づいて

草むらに逃げて隠れちゃったらしいです、、、


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