1584年

長久手城趾

本能寺の変で信長が死に

山崎の戦いで主君の仇を討った

羽柴秀吉の野望が

水面下で動いていきます、、、、

 

1583年

賤ヶ岳の戦いと呼ばれる

柴田勝家との戦いの中で

清洲会議で、柴田勝家が織田家の後継にと

推していた信長の三男 織田信孝も秀吉を討つべく

勝家につき、ともに挙兵。

、、しかし秀吉側についていた

信長次男の織田信雄により

居城である岐阜城を包囲され

柴田勝家が北ノ庄城で自害すると

信孝も降伏し、、のちに切腹します。

 

そのあと、秀吉は大阪城を築城し始めます。

それまで秀吉と組んでいた次男信雄も

おいおいちょっと待て、、秀吉は天下を奪うつもりかと

 

信雄はついに東国の雄

徳川家康と手を組み秀吉に宣戦布告。

 

織田、徳川連合軍との戦いの前に

秀吉は織田家の忠臣で

信長の乳兄弟であった

池田恒興(勝入)とその婿である

鬼武蔵、森長可を味方に引き入れます。

八千の兵を率いて浜松城を出発する徳川家康は

清洲城で信雄軍と合流し、、

その頃

池田恒興は信雄軍の城であった美濃、尾張の国境である犬山城を一晩で落城させてしまいます。

ここから小牧長久手の合戦と呼ばれるいくさが始まります。

そして家康は小牧山城に陣を張り秀吉軍の攻撃を迎え撃ちます。

秀吉は家康を挑発し小牧山からなんとか野戦に持ち込もうとしますが

誘いには乗らない。

戦線が膠着するなか

池田恒興、森長可親子は

がら空きの家康の本国、三河に回り込み奇襲しようと言い出します。

秀吉はおいおい大丈夫かと心配になりながらも承諾。

名人堀秀政とのちに

関白豊臣秀次と呼ばれる

若干17歳の三好秀次を総大将とし

池田・森軍を先陣として三河岡崎城に密かに向かいます。

しかしその動きを察知している徳川家康、、

池田恒興は途中、岩崎城を通り過ぎようとしますが

この城から鉄砲を撃ってきた

徳川軍、丹羽長重。

寡少の兵を持って六千の大群率いる池田軍へ
無謀にも

戦いを挑みます。

写りが悪くてごめんなさい、、

、、この城は長久手での戦により灰燼に帰した城の跡です。

周りは静かな住宅街、、

ここの城の城主であった加藤忠景、、

小牧長久手の戦いでは徳川軍につきます。

彼はしかし

岩崎城で籠城しており

二百三十名余りの兵とともに奮戦空しく戦死。

この時、完全に池田輝政・森長可軍の動きを察知していた徳川家康。

岡崎城に奇襲をかけるつもりであった秀吉軍であったが、、、

後方にいる総大将の秀次軍が逆に奇襲を受け大混乱。

前方にいた池田・森軍は引き返し

長久手において徳川軍との決戦に挑みます、、、。


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