「鬼武蔵」と呼ばれた森長可。
まるで武蔵坊弁慶のようだ、と織田信長が名付けた異名。
「人間無骨」という
なんだか意味がわからないけど
恐ろしそうな
十文字槍を手にし
「百段」と呼ばれた名馬に跨り
戦では派手に暴れまわったそうで、、、
彼は1558年(永禄元年)に
父、兄を戦で失くし
13歳で家督を継いだそうです。
少年の匂いを残したまま成長とともに
長島の一向一揆や長篠の戦いなど
織田信長の天下統一の
戦歴の中で
いつも顔を出しているような人で
戦遍歴だけでなく
岐阜県の可児市のあたりで内政面にも
目を配ったようです。
名前は有名ですが
結構
傍若無人な振る舞いをしたことでも有名みたいで、、、
かなりキレやすい方だったようです。
奉公人や同僚に暴言を働くのは序の口
戦に出れば軍令違反を犯したり
琵琶湖畔から流れている川の橋では
ルールを守っている関所の門番を気に食わんと切り捨てたり
やりたい放題
でも、、、、
主君、信長には気に入られていたみたいでお咎めもなく、、
なんだか理不尽なエピソードもありますが、、
なんだかんだ愛嬌?とかも
あったんでしょうかね?
分からんけど。
しかもなんか生の蛇を食べる
エピソードもあったような
人だったようです。
、、、いや人じゃないな、、、
あんまり
関わりたくないような気がする
訳の分からない
そんな彼にも死が訪れます。
小牧長久手の戦いと呼ばれる
本能寺の変から明智光秀を討ち
天下統一を
目指し始める羽柴秀吉。
なんでお前がなるんだと
それを阻止する
織田信雄、徳川家康軍の連合軍との戦。
ここで
鬼武蔵は秀吉軍につくも
井伊直政軍と激戦のなか
1584年(天正12年)に
討ち死にします。
そして
この碑の場所が
鬼武蔵が息絶えた場所だったそうです。
しかも享年27歳、、、、、
どんだけ濃厚な人生を送ったんだろう。
若すぎ、、
彼の弟は森蘭丸。
彼よりも先に
あの本能寺の変で織田信長のそばで
命を散らします。
また鬼武蔵が死んだ後
森忠政が跡を継ぎ
関ヶ原の合戦では
徳川秀忠とともに上田城攻めへと参加とか、、、
この血筋は明治以後も続くようです。
この森家の血統の歴史だけでも
一つのドラマになりそうな感じもします。
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