1584年

長久手古戦場 勝入塚

小牧 長久手の戦いが始まるまえ、、、

羽柴秀吉が

本能寺の変で横死した

織田信長の仇討ちのため

中国大返しを敢行し

疾風のように岡山から京都に戻り

山崎の戦いで

明智光秀を討ったのち

清洲会議にて

織田家の継承者問題や領地の問題で

揉めに揉めているとき

その男は清洲城のその会議の場にいました。

 

池田恒興。

 

彼は小さな頃から

織田信長のそばに仕えており

桶狭間の戦いから美濃攻略や

浅井朝倉連合軍との姉川の戦いとか

 

、、果ては比叡山焼き討ちとかも

とにかく織田信長の戦歴の中で

池田恒興も一緒に様々な戦に

参戦したようです。

清洲会議の場では

柴田勝家らと対立し

彼は秀吉らと織田信長の孫

三法師を次の後継として擁立。

羽柴秀吉や柴田勝家、、丹羽長秀とか

織田の医療や後継の話し合いのなかで、、

わずか3歳の子供に

織田家の家督を相続させるという、、、

 

はたから見たら

なんとも、、

わけのわからないことをしています、、、

 

三法師は

のちに織田秀信と名乗り

岐阜城城主として

関ヶ原の戦いで

石田三成率いる

西軍につくこととなりますが

 

それはまだ先のはなし、、

 

 

池田恒興は1584年(天正12年)

羽柴秀吉と

徳川家康、織田信雄連合軍との戦いに参戦。

 

彼は秀吉方につき

初戦において犬山城を攻略。

そのあとにあの

「鬼武蔵」森長可(娘婿でどうもかなり気にかけていたらしい)

「名人」堀秀政とともに

 

小牧山城で陣を張っていた

家康の所領である

 

三河国へ攻め入ろうとするも

 

ここ長久手で家康軍と戦い

鬼武蔵とともに

命を散らします。

池田恒興を打ち取ったといわれる

徳川家康の家臣

永井直勝。

 

彼は1563年に三河で生まれ

井伊直政と

三河武士のなかでも

仲がよかったようで

家康の息子、信康に仕え彼が切腹してから

 

一度徳川氏を離れますが再び家臣となり

この戦いで家康や信雄から

大手柄の賞賛を受けたそうです。

 

討ち取られた池田恒興の

長男元助もこの小牧長久手の戦いで戦死したことで

池田恒興の次男

池田輝政が戦後、池田家の跡継ぎとなります。

 

池田輝政が、1594年(文禄3年)に

家康の次女、督姫とめでたく結婚することになり

その祝いの席に家康家臣、永井直勝も馳せ参じたそうで

 

、、かつて討ち取った男の息子の

お祝いに行くのもなんともたまらないですね、、、

どんな気分で行ったんだろうか、、、

その時に輝政は

直勝と会って話を聞きます。

 

その時、長久手の戦いで

父、恒興を打ち取った話とか

直勝が功績をあげたにも関わらず

思ったよりあまり出世していないことに

輝政は父の命の価値が

こんなものかと嘆いた話もあります。

 

直勝は、関ヶ原の戦いにも参戦し

大坂の陣でも戦功をあげます。

家康覇業の君臣として最後まで仕えて

最終的には茨城県、古河藩7万2000石の

大名として枕の上で死去。

 

これまた凄いのは

永井直勝の子孫、、、

その何代かものちに

永井荷風や

三島由紀夫と

かの有名な文豪たちを

世に送り出すこととなるようです。

(名前は有名ですけど、、、

読んだことがないので、、、

いずれぜひ、、、、)

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