1564年

竹中半兵衛重治公 像




岐阜県垂井町
JR垂井駅前、小さなロータリーの真ん中に座っていました。

さすが秀吉から三顧の礼で迎えられた威厳を感じます。

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両兵衛と呼ばれ、黒田官兵衛とともに羽柴秀吉の参謀として支えた有名な軍師です。

最初は斎藤義龍に仕え、その息子斎藤龍興にも仕えますが
斎藤龍興は酒食に溺れていたことで

それを諌めるため

永禄7年
美濃三人衆ととともに主城である稲葉山城を
僅かな人数で乗っ取ってしまいます。

このことで竹中半兵衛の名は世間に響き渡ります。

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彼は36歳という若さで
中国攻め、播磨三木城の包囲戦の最中で

亡くなっています。

有名な話ですが

信長に対して裏切った荒木村重の
説得に向かう
黒田官兵衛に対し

信長は裏切られたと思い人質であった息子の
松寿丸を→のちに黒田長政となります。
殺せと命じますが

半兵衛はこっそり松寿丸を引き取り、匿ったそうです。

その間の黒田官兵衛は1年間、有岡城の土牢に入れられましたが

土牢に入れられている間の官兵衛は一体どんな思いで過ごしていたんでしょうか?
想像するとぞっとします。気が狂いそうですよね。

そして死んだと思っていたであろう松寿丸が

すでに亡くなっていた半兵衛に匿われていたことが分かった時の

嬉しさとはどんな気持ちだったんでしょうか。

半兵衛の墓に一生 足むけて寝られないですよね。

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しかし、兜が凄いですね。

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一ノ谷の兜と呼ばれるそうです。

戦のないときは鉄板焼きとかしてたのかもしれないですね!

しかし命を救われた黒田長政はこの兜をのちの関ヶ原の戦いでかぶっていたそうです。

兜もあの時代

みなさん様々なものをかぶっており、今見ると

なんだこりゃと思えるのも

ありますよね!なかなか面白いです。

直江兼続とか愛ってなんだい?と聞きたくなるし

黒田官兵衛にいたってはお碗やないか!と突っ込みたくなります。




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