1681年

石井三之丞の墓

‥‥なんだか久しぶりすぎて

どう文章を

書いていけばいいのか忘れてしまい‥すみません。

戸惑いながらも‥

 

江戸時代に起こったある事件を紹介します。

寛文2年(1662)

信州小諸城城主であった

青山宗俊。

(結構お父さんすごかったみたいです。

生まれながらの三代将軍

徳川家光をどうもブチギレさせたらしい‥)

 

それはともかく

大坂城代に任命された

その宗俊の家臣 石井宇右衛門。

彼もまた主君宗俊とともに大阪へ向かった。

 

‥ある日、宇右衛門の友人であった

赤堀遊閑(ゆうかん)という医者が

宇右衛門のもとへ訪ねてきたという。

 

赤堀遊閑は養子を取っており

名は赤堀源五右衛門。

 

遊閑は石井宇右衛門にその養子であった

源五右衛門の

これからの面倒を見てほしい、と

頼み、宇右衛門は承諾したらしい。

 

その源五右衛門はどうも元来の性格か

それとも若気の至りか

知りませんが

 

血の気が多かったのかもしれない。

 

内容は知りませんが武術の稽古のことで

師匠となった宇右衛門の讒言があったのち

 

源五右衛門は宇右衛門へ

試合を申し込み

源五右衛門は打ち負かされます。

 

この途方もない

ながきにわたる仇討ちの物語の

発端はここから‥

 

この武術の遺恨から

赤堀源五右衛門は多分恥をかかされたんでしょうね‥

その石井宇右衛門に逆恨み。

 

 

延宝元年(1673)11月

石井宇右衛門の自宅に

忍び込んだ源五右衛門。

 

宇右衛門が帰宅したところを狙い

宇右衛門を槍で突き殺し

逃亡したという。

 

‥すぐさま

仇討ち免状を懐にしまい

(しかし‥どこが?出してんだろう‥?すごい時代です)

 

石井宇右衛門の

長男三之丞と 次男彦七。

 

二人の息子は行方知らずの源五右衛門を探しに

仇討ちの旅に出たといわれます。

 

そのひと月のうちに

三之丞、彦七兄弟は仇である源五右衛門の

養父

赤堀遊閑を大津において討ち取る。

 

‥見せしめの如く

義父を殺された赤堀源五右衛門。

しかし‥その後

彼はその義父の仇である

二人の前には現れなかったといいます。

 

そこからも‥依然として

父の仇を探す二人の息子達‥

 

当てもなく源五右衛門を探す石井三之丞と彦七。

 

殺された父、宇右衛門には何人の子供達がいたのかは

知りませんが

宇右衛門が殺されたころには

三之丞達の母親もすでに亡くなっていたらしく

まだ幼子であった弟がふたり‥

 

三男 源蔵5歳と 四男 半蔵2歳。

 

兄達は旅に出ており

ふたりはあの忠臣蔵で有名な芸州藩浅野家に仕えていた

宇右衛門の妹婿のもとに身を寄せたといいます。

 

そして‥三之丞と彦七兄弟。

 

仇を探し続けて

8年もの年月が経ったころに

転機が訪れる。

そのころ 互いに手掛かりも掴めぬまま

源五右衛門の情報を探すべく

別々に行動していたらしい。

 

兄、三之丞は叔父であった

美濃養老室原に居る

犬飼瀬兵衛のもとに滞在。

この養老の地を拠点に世間に

仇、源五右衛門を探し回っていることを喧伝し

源五右衛門を挑発したという。

 

その‥未だに自分を探していることが

恐らく耳に入ったであろう源五右衛門。

ひっそりと養老の地に踏み込んできた‥

 

ちょうど、その養老の叔父の自宅において

入浴していたのは

長男 三之丞。

 

彼は源五右衛門に寝首をかかれ

あっけなく討ち取られたといわれます。

 

その兄の訃報を聞いたのは

次男 彦八。

兄の訃報を聞きながらも船に乗っていた弟は

運悪く 嵐にあい命を落とす‥

 

この執念ともいえる8年‥

しかし 何とも無残な結末を迎えた兄弟。

そしていまも残る長男 三之丞のお墓は

 

岐阜県養老郡にある福源寺というお寺に残っています。

 

 

(ちょっと墓石の字が読めないけれど‥

横にある小さなお墓は弟 彦七のでしょうか?‥)

‥そして

 

 

何より驚くべきことは‥

三之丞の無念や怨みは

命失っても終わらなかったこと‥

 

この三之丞のお墓の傍らに

ある柿の木が現在も残る‥

三之丞の死後、この柿の木から

彼の髪の毛が生えてきたという。

 

看板も凄い‥柿の毛ってかいてある‥

行った時は苔?

みたいのは生えていましたが

髪の毛が生えてくるっていうのは‥

 

当時、かなり有名であったといわれます。

 

石井宇右衛門を殺し

長男三之丞を

養老の地で殺した

赤堀源五右衛門はその現場を立ち去り

再び消息不明‥。

 

 

‥しかしこの仇討ちの物語は

この先も続く。

 

父が死に兄達が死に

芸州藩に預けられていた

三男 源蔵と四男 半蔵。

 

彼らは成長し

再び父と兄の仇である赤堀源五右衛門を探すべく

仇討ちの旅に出たという。

 

‥次回に続きます。

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