1560年

今川治部大輔義元の墓


駿河、三河、遠江の三国を支配している

今川義元、、

彼は日本地図を

踏み潰していくように

どんどん西へ突き進み

尾張へ向かう、、、

だが

織田信長がなんとか阻止しようとします。

 

雨が上がり、桶狭間において

今川軍本隊を目にした織田信長軍。

狙うは今川義元の首ひとつ。

寡兵でもって、織田軍は突き刺すように

今川軍本体に突っ込みます。

敵も味方も分からないような乱戦の中で

義元を発見したという

服部小平太。

この瞬間、、、

なんというか、、

何千もの人が絡み合う中で

輝く敵の大将を目の前にし

身体の血が逆流し湧き踊り、、、

肉が踊り出すような

心臓が痺れる瞬間を

彼は身をもって感じたんでしょうか、、、、、

 

例えれば大博打で勝つ前の瞬間、、、

(あー違うかな、、、)

当の本人は冷静だったかもしれないですし、、、

でも、大軍の中で王将を見つけた瞬間、、

 

どう思ったんだろ、、

それはともかく

敵の総大将を目の前にし

義元に一番槍をつけます。

しかし義元に膝を斬られる、、

その瞬間に現れる織田軍、毛利良勝、、

彼は義元と組み打ち

義元の首を挙げることとなりますが

毛利良勝の指は何本か義元に噛みちぎられたそうです。

このお地蔵さんとかも合戦跡にありますが

おっかなくて

看板見ると嫌になる、、

神式?仏式と近くに二つの墓がある不思議な場所、、、

 

、、そして義元の愛刀、「宗三左文字」

南北朝時代に造られたと言われるこの刀は

近畿の方で所有していた三好氏から

武田信玄の父、武田信虎に贈られ

その後今川義元に渡り

この桶狭間の合戦でも所有したあと

織田信長が戦利品として

「永禄三年五月十九日義元討捕刻彼所持刀」

「織田尾張守信長」

と記念に刀に彫ったそうです、、

(読めないですけどなんとなく意味はわかる気がする、、、)

やっぱり信長自身、記念に残したい戦いだったんでしょうか、、

 

本能寺の変の時

信長はこの刀を持っていたようで

その後は豊臣秀吉から豊臣秀頼へ、、、

そのあと徳川家康の手に渡り代々徳川家の家宝として

今も京都のどこかの神社に保管されているそうで

天下をとったお歴々の所有した不思議な刀です。

今も見に行ったら見ることができるんでしょうか?

 

全然関係ないですが

 

岐阜のソウルフードのひとつ(多分)

「岐阜タンメン」

血圧高いのに

あのデカデカとある深夜3時までの看板に

腹が減るとつい行ってしまいます。

岐阜県で最近

じゃんじゃか出店していますが

初めて食べた時は

あまりのうまさにびっくり。

でも最近このあたりにも

「桶狭間タンメン」

という店ができて、、

(ネーミングがなんかよく分からないけどインパクトのある店名ですね、、)

まだ行ってないのでそのうち行ってみようと思います。

(何か桶狭間と因果関係あるのであろうか、、?)

 

 

で、徳川家康、、、

この桶狭間での戦いでは今川軍につき

今川義元がまさか戦死するとは思わなかったと思いますが

彼は彼なりに合戦後も光明を模索していきます。

後世から見れば

彼にとってはまだまだ苦難の道が続いていく、、、、

 

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