1562年

十九条城 跡





美濃の戦国大名

斎藤義龍が

急死した2日後に織田信長は美濃を侵攻。

森部の戦いで急襲し大勝利を得た織田軍は

そのまま突き進み墨俣の砦を奪い

 

美濃攻略の拠点として墨俣北西のこの地に

城を築きます。

 

もともと

1526年(大永6年)に斎藤利良という美濃守護代が

時の守護大名、土岐頼純の命により

信長の父、織田信秀を警戒して造ったそうですが

土岐氏滅亡から斎藤道三が美濃を支配してからは

一度廃城となり

再び、美濃尾張戦線の重要な要として織田軍は陣を張る事となります。

 

しかし

1562年(永禄5年)

斎藤義龍の息子、龍興は反撃に出て

十九条城を奪還。

まだまだ織田軍との戦いは続く、、、、。

その十九条城を守っていた城主が織田信益。

彼は美濃攻略戦の最前線で

先陣を切って戦いますが討死。

 

織田VS斎藤軍の一進一退の攻防の

そんななかで

織田信長のいとこである

犬山城城主の織田信清が突如信長を裏切り、、

 

浮野の戦いで信長を助け、今回のいくさでも

弟である信益を信長のもとへ派遣、、、

 

その織田信清の裏切りの理由は分かりませんが

領地の分与の問題とも、この地で弟の信益を死なせた恨みとも、、

いずれにせよ信清は信長に反旗を翻して

突如斎藤家と手を組み

犬山城の南の地にある楽田城を攻略。

 

「まじか」と言ったか言っていないか

まさか裏切るとは思っていない信長、、

絶望の淵に立たされたかどうかも知りませんが

 

信長は四面楚歌とも言える状況で

(この人の人生、いつもそんな状況ばかりのような気がします、、、

だけどもそれをその都度打ち返すパワー、、、

後世から見てもやっぱこの人すごい、、、、)

 

 

ここで一度、美濃攻略をを中止し

 

尾張に戻った信長は

裏切った織田信清の攻撃に備え

それまで居城としてきた清洲城から

楽田城の南の位置にある

小牧山城を築き、ここから信長は織田信清と

美濃斎藤家攻略の

 

足がかりを再度模索していくようです。

 

織田信長といえば

桶狭間の戦いとか

長篠の戦いとかも有名で

有名でない頃の

森部の戦いとか軽海の戦いとかほんとに小さな?戦とか

 

少しづつ少しづつ薄氷を踏みながら

ときに大胆に突き進むような

生き方をしながらも、、、

 

 

しまいには天下を治める寸前までいき

突然死ぬっていう人生ってなんだろう、、、

 

 

でも

なんかいい事あるとか思ってただ

待っているだけじゃどうにもならんですよね、、?

 

 

頭では、、わかってはいるけど、、、、しかし

眠い、、、

 

 

 

十九条城は結局廃城となり

信長は美濃攻略において

ただ攻めるだけでなく、また違った方向性を考えて

攻略法を考えていくようです。

、、調略、、

そこで

美濃三人衆と呼ばれる男たちがこれから現れ、、、。













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