802年

阿弖流為母禮之碑





蝦夷(エミシ)と呼ばれる

東北地方の人々。
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冬は雪で埋もれ
春になれば
豊潤な土地の中で
人々は田畠を耕します。

平安時代

朝廷のまだ手の届かない未開の土地。

朝廷は何度も

支配下に入るように

彼らに勧めていきます。

それを受け入れるものもあれば

拒否をするものもいました、、

自分たちの平和な生活を

壊されることを

許せない人たちもいたと思います。

アテルイと呼ばれる

平安時代初期に

朝廷が大軍で攻めてくるにも関わらず

僅かな手勢で

撃退していく蝦夷の親分。

その傍らには

いつもモレという男が

いたそうです。

彼ら蝦夷の征討軍として

紀古左美という征東大将軍が

攻め込みますが

アテルイたちのゲリラ戦法で

挟み撃ちに遭い

大惨敗。

しかし
ここから新たに編成された

遠征軍。

次は征夷大将軍として任命された

かの有名な軍神

坂上田村麻呂が征討軍として

陸奥国、胆沢まで赴きます。

そして
アテルイたちは
延暦21年4月15日(802年)
降伏します。

彼らは
捕虜となり

田村麻呂とともに

平安京へ。

この東北から京都へといく

約三月の間に

田村麻呂とアテルイとモレ、、、

勝利者と捕虜という関係の中で

彼らの間で友情が芽生えたのかどうかも知りませんが

7月10日、平安京に到着し

田村麻呂はアテルイとモレの助命を

朝廷にしたそうです。

田村麻呂は彼らを死なせるには惜しいと
感じていたんでしょうね。

しかし彼の願いは届かず

アテルイとモレは
8月13日に処刑。

IMG_1949

この時

坂上田村麻呂は

どんな気持ちだったんでしょう。

坂上田村麻呂が建立したという

京都、清水寺

IMG_1924
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参拝した帰り道に長い階段を降りて少し歩くと

この石碑があります。

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よく見ると東北の地が浮かんで見えます。


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