1579年

五明稲荷

信長包囲網が崩壊していくなかで

織田信長は西へ北へと戦線拡大していき

本拠地もついに

岐阜から安土へと移っていく時期、、

1578年(天正6年)

今の広島県、安芸国から毛利輝元を中心とした

中国地方の軍勢たちが東へと侵攻。

 

織田軍に奪われてしまった

軍事拠点の要であったといわれる

播磨、美作、備前と呼ばれた国境に位置した

上月城を奪還しようとします。

 

織田家家臣、羽柴秀吉と荒木村重は

早々に出陣し中国勢と対峙。

 

そのあとも滝川一益や明智光秀、丹羽長秀とか

信長の息子たち、織田信忠、織田信雄、織田信包、織田信孝

あと細川藤孝、佐久間信盛軍らなんだか有名な武将たちが

大軍をもって西国への陣を張ります。

 

、、だが毛利の大軍には歯が立たず

上月城は陥落。

 

中国地方で強大な力を誇った尼子氏は滅亡。

あの山陰の麒麟児と呼ばれる

七難八苦で有名?な

山中鹿之介も

この戦いで処刑、、、

 

そのころには織田信長に従っていた

播磨三木城の城主であった

別所長治が毛利に寝返っており

 

京にいた信長は今回の作戦が捗らないのなら

まず裏切った別所長治の三木城を攻めろと

指示を出し

織田軍は

神吉城、志方城を攻め潰して

三木城を包囲。

砦を築き、陣を敷いていく、、

 

その間、信長は

伊勢の九鬼嘉隆に大船を建造させ

水軍をもって

毛利軍と大阪本願寺への海上連絡や兵糧輸送も

遮断してしまったらしい、、

 

そんな三木城包囲網が敷かれるなかで、

織田軍 荒木村重が突如として

謀反を起こし

主君、信長に反旗を翻します。

理由は諸説あるそうですが、、、

信長は

村重の裏切りに驚き、耳を疑ったそうです。

村重の才を買っており、厚遇していたという信長の

驚きとはいかばかりのものか、、

どうも、、前置きが長くなりましたが

かの有名な羽柴秀吉の軍師といわれる

黒田官兵衛

 

彼はこのころ播磨の豪族である

小寺政職(まさもと)に仕えており、、、

 

官兵衛は早い時期から織田信長が

そのうち天下を取るのではなかろうかと予測し

主君の政職にも伝えていたそうです。

 

長篠の合戦後に

ついに政職も織田につくことを決め

その後、官兵衛は播州攻略に向けて

織田信長の部下である羽柴秀吉のもと

案内役を買って出て

播州の豪族の調略を開始していきます。

 

その際に、官兵衛は嫡男である

わずか9歳の松寿丸を

織田家の人質として預けることとなり

信長は喜んだそうです。

 

松寿丸は

長浜城の羽柴秀吉に預けられ

秀吉の妻であるおねにも

我が子のように可愛がられたらしい、、、

 

、、だが官兵衛の主君、政職には

官兵衛の思いは伝わらず

勝手なことばかりしやがって

と快く思っていないなかで、、

 

荒木村重の突如の裏切り。

 

村重は伊丹有岡城において立て籠もり

政職も荒木村重と通じて織田への反逆を企んでいるという

話が官兵衛に伝わります、、、

 

官兵衛は政職を説得します。

政職はじゃあ有岡城にいる村重を説得してくれれば

織田に引いた弓を下ろす、、と言いながら

邪魔になった官兵衛を

問答無用で殺してくれと

こっそり村重へ伝えたらしい、、、、

 

それを知らず単身、摂津伊丹の荒木村重の説得に向かう

官兵衛の気持ちとはどんなものだったのか、、

 

官兵衛は有岡城へ到着後、村重に会えることなく

すぐさま城の牢獄に放り込まれたそうです。

 

、、この官兵衛の動きに対して

 

信長は、官兵衛が荒木村重に寝返ったと怒り人質である松寿丸を殺せと秀吉に命じ、、

 

秀吉は、官兵衛の行動や信長の怒りに当惑しながらもどうしようかと悩んでいるところに、、秀吉のもう一人の軍師と呼ばれる竹中半兵衛が私が松寿丸を殺しますと言い出します、、

 

半兵衛は、松寿丸を自分が始末をすると言いながらも、、、信長に内緒で松寿丸を匿ったそうです。

ここ、岐阜県垂井町にある竹中半兵衛の居城である

菩提山城の近くにある

五明という場所で

松寿丸は隠れ過ごしていたという、、、

松寿丸が植えたとされる銀杏の木は

残念ながらぶった切られちゃったみたいですが

若芽が少しづつ育ってきているそうです。

 

、、だが入牢されてから1年後、、、

官兵衛が牢から出てきたとき

 

息子が半兵衛に匿われていたことや

その半兵衛はもうこの世にはいないことを知ったとき

官兵衛がどんな気持ちだったかも

わかりませんが、、

 

播磨攻めの

ほんの短い時期だけしか

関わっていなかったともいわれる

半兵衛と官兵衛、、、

稀代の軍師と言われる

ふたりは

出会った時、お互い何を感じ

夜な夜などんな話をしていたんでしょうね、、、




関連記事

  1. 1579年

    安土城

    1575年(天正3年)5月に長篠の合戦において…

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。



















記事をメールで購読

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。




  1. 1169年

    五条大橋 牛若丸弁慶像
  2. 1681年

    石井三之丞の墓
  3. 1868年

    青松葉事件之遺跡
  4. 1684年

    青野城
  5. 1754年

    舛屋伊兵衛の墓
PAGE TOP