1568年

若き日の織田信長像

岐阜城の麓にある

公園の入り口には

若き織田信長が弓を放つ

躍動感溢れる銅像があります。

この銅像と同じ姿形で

ミニチュアにしたのが

たまたま行った

岐阜市役所にもありました。

、、、

しかし、、、、

同じ市役所内の一角にあった

この織田信長、、、、、

結構遅い時間に行ったので、、あれかもしれませんが

 

これはなんだろと思うくらい

ミョーにリアルで、、、、、

ほくろ?にきび?もある、、、

誰かモデルがいるんでしょうか??

←(追記)

 

それが

どうも令和元年12月24日の時点で

岐阜城に行ったのだけれども

 

モデルが判明、、、、

おそらく高橋英樹ではないかとの

噂、、、

 

1567年(永禄10年)8月、、、

信長は木曽川を渡り

美濃三人衆を味方につけ

 

ようやく

斎藤龍興軍を駆逐し

稲葉山城を陥す、、、

念願の美濃国を手中に収めたのは

信長35歳のとき、、、、。

彼の次の野望は果たして、、、、、

 

信長は北近江の浅井家に

美人で有名な妹

お市を浅井長政に嫁がせ

同盟を結び

京へ進む道を確保していき

その2年ほど前、、、、

京において

室町幕府の十三代将軍

足利義輝が

三好三人衆や松永久秀らによって

暗殺されて

もはや権威は地に堕ちた

足利将軍家、、、

 

しかし

将軍義輝の弟であり

仏門に入っていたという

覚慶。

彼は兄が殺されてからは

奈良で幽閉されていらしいが

兄の側近に助けられて

密かに脱出。

 

彼は近江の和田惟政を頼りに

甲賀へ向かい

そこでもう一度

正当な血統を持つ将軍家

室町幕府の権威を取り戻すため

諸国の大名へ檄を飛ばしたうえ

還俗し

足利義秋と名を改め

京を目指したという。

 

だが、、、その京では

兄である義輝を殺した

三好三人衆たちが支配をしており

とても近寄れないような状況、、、、、

かつての主従であった南近江の守護大名

六角義賢は

京で勢いづいている

三好三人衆と密かに繋がっていたらしく

義秋は

六角家に保護を求めたらしいが

断られたうえ近江を追い出されてしまう、、、。

 

当てが外れ途方にくれる足利義秋、、、

彼は朝倉義景を頼りに

越前へと向かったといいます。

 

しかしそこで悶々と過ごす日々、、、

 

「足利将軍家の旗を再び京へ掲げたい」

 

だが、、保護はしてくれたけれども

朝倉義景は義秋の上洛に協力することはなく

いたずらに時間が過ぎていく、、、

 

、、ちょうどその頃に

尾張を制し

ついに美濃をも統一したという

破竹の勢いで領土を拡げる

織田信長の噂を聞き

ついに朝倉家に見切りをつけ

その頃はまだ、朝倉家の家臣であった

明智光秀や

足利家の家臣である

細川藤孝らの

斡旋により

 

織田信長は足利義昭を

岐阜に迎え入れることとなります。

 

だが義昭を奉じて京へたどり着くには

南近江を通らないと、、、、、

信長は六角義賢に

使者を通じてあたたかく迎えるように

説得したというが

義賢は首を縦に振らなかったという。

 

岐阜城から出立したという

信長は尾張兵に加え

新たに手中に収めた

美濃、伊勢衆の兵たち、、

同盟者であった三河の徳川家の軍勢と

北近江の同盟者である

浅井長政軍をも加わり

その数5万人を超える軍勢が

琵琶湖の東岸を辿り 南へ、、、、、

 

もはや大河が氾濫するような勢いで

戦意は日ごと新たに湧き上がり

戦いにおいては風の吹き荒れるがごとく、、

 

作戦もくそもなく

洪水がやってくるかのように

六角軍の18の支城は

いとも容易く踏み潰されていき

あまりの織田軍の巨大さに

観音寺城を本拠としていた六角氏は

なすすべもなく逃亡したという。

 

1568年(永禄11年)10月、、、

上洛を果たしついに

足利義昭は足利十五代将軍となる、、、。

流浪の時期を過ごした

義昭にとって

ついに将軍として返り咲くことができ

 

きっと喜びの絶頂だったでしょうね、、

 

でも、、、

将軍となったあと

時間が経ってからふと気付く、、、

自分は信長の操り人形でしか

過ぎなかったことを、、

、、、、

 

明智光秀も、、、

このあたりから

ようやく歴史の表舞台に出てくるそうですが

 

、、、まだ出会ってから日の浅い

織田信長と明智光秀、、、、、、

立場は違えど

 

この頃彼らはお互いを

どう感じ、どう見ていたんでしょうね、、、。

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