1635年

戸田氏鉄公 騎馬像

岐阜県大垣市にある

大垣城を背に

雄々しく立っている戦国武将

戸田氏鉄(うじかね)公、、

 

生まれてから、、、、

なんと徳川将軍家4代に仕えたといわれ

美濃大垣藩初代藩主として

10万石を領し

その子孫は

明治時代まで続くといいます。

 

かつて大柿城とも呼ばれたこの城は

織田信長の父、信秀と

斎藤道三が取りあったり

 

関ヶ原の合戦においては

西軍の本拠地として

石田三成たち諸将らが集まり

徳川家康率いる打倒東軍の作戦を

このお城のなかで

たぶん喧々諤々、、、

 

氏鉄の父である

戸田一西(かずあき)は

若き頃より徳川家康に仕え

豊臣秀吉の時代の小田原征伐に参陣したといい

そのあと関ヶ原の合戦前夜において

徳川秀忠軍に従い参戦、、

 

あの有名な信州上田城の合戦において

真田昌幸、信繁親子の挑発に乗ってしまう

秀忠軍、、、

結局足止めを食らうことになりますが

 

戸田一西ひとりだけは

この挑発には乗るなと

反対していたという、、、、、

 

彼はその後、近江膳所藩(ぜぜはんと呼ぶらしい、、)

の藩主となりその後

息子である戸田氏鉄が膳所藩を継ぐこととなります。

↑ これも戸田氏鉄公の像、、

 

大垣城の近くの郷土館のなかにありました。

 

、、しかし、銅像とか多いというのは、、、

 

よほど善政を敷いて

庶民からも愛情が伝わるというか

いいお殿様だったんだろうと

思います、、、、、、。

 

その戸田氏鉄、、

家督を継いでからは

大坂の陣においては東海道の押さえとして

居城である膳所城を守り

そのあと摂津尼崎へ入封、、、

尼崎城を築きます。

 

その尼崎城、、、明治の廃城令で

取り壊されちゃったそうですが

なんと(知らなかった、、、)

つい最近になって再建されたらしいです、、、

 

しかも、建てたのは

あの有名なエディオンの創業者、、、

 

12億!?という私財を投じて

天守閣を作っちゃったらしい、、、

 

 

、、そのうち行ってみたいですね、、、、

しかしすごい、、、

、、話は戻りますけれども

戸田氏鉄はその後

1635年(寛永12年)

 

ここ大垣藩10万石の

初代藩主として

新田開発、治水工事、教育にも力を注ぎ

あの島原の乱でも活躍し

なんとも自分自身を疑うことなく

上にも下にもまっすぐな

 

本当に真面目なかたです、、、、、

 

だからか、、、分からんけど

ちょっと地味すぎるくらいなイメージの

あるかたで、、、、

 

 

氏鉄の娘婿である

板倉重宗。

 

彼は大坂の陣が終わってから

大阪城代を勤めていたといいます。

 

その彼に舅である戸田氏鉄が

彼に使いを出し、、、

 

その大阪城の広間において

待つようにと言われた

その氏鉄の使者、、

 

広間に飾られていたのは立派な大砲、、、

 

彼は待っているあいだ

どうも大砲に興味がわいたらしく

 

 

なにを思ったか

大砲の砲口に自分の頭を突っ込んだという。

 

突っ込んだはいい、、、、

 

だが、、、

頭、、、

 

抜けなくなっちゃったらしい。

 

大阪城の広間でなんども

板倉家の家臣は

その使者を呼ぶが

出てこないので、、、

 

板倉重宗が広間に行ってみると

そこにはとんでもない使者の姿、、、

 

 

これはえらいことだととりあえず

城にいる者たちを集め

大砲に頭が突き刺さっている使者を

引っ張ったが、、、

 

 

抜けない。

 

 

どうしたものかと

膳所城にいる

戸田氏鉄に報告に使者が膳所城に向かう、、、、

 

これを聞いた戸田氏鉄は激怒したという。

 

 

そして、、、、

あまりの恥ずかしさで

うなだれたらしいが

 

 

それどころではない、、、

今現在も大阪城で

大砲に頭を突っ込んでいる

 

家臣をどうするのか、、、

 

、、とにかく

 

死んでもいいから首ごと引っこ抜いてこい!!

 

と氏鉄は

家臣に指示したといいます。

 

、、、グーグルマップで調べたら、、、

滋賀県大津市膳所から大阪城まで

徒歩でなんと

片道11時間、、、、、、、、、、

、、、、

 

 

この時代に、、、

どうやって往復したのかわかりませんけれども、、、

 

 

その間、その使者は頭を大砲に突っ込んでいる

長いあいだ、、、、

暗闇の中でなに考えていたんだろうか、、、、

 

 

そして

、、、ようやく到着した氏鉄の家臣たち、、、

 

大阪城の広間で

 

裃姿で正装したうえ

 

大砲に頭を突っ込んだ

 

 

同僚のなんともいえない

姿を見たときの衝撃とは

どんなもんだったんだろうか、、、

 

 

、、それよりも

 

氏鉄の家臣たちは、、、

主命により

 

彼を一斉に

大砲から引っ張り出します。

 

そのとき、、、

もはや首や身体は

尋常ではないほど伸びたという、、、

 

もう無理だと思われた瞬間

 

ポンッ!

 

と使者の首は抜けたらしい、、、、

 

そののち、、、戸田家の恥さらしとして

彼は罰を受ける値打ちすらないと

素っ裸で膳所藩を追い出されたという、、、

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