1575年

丸岡城

休日、、

朝早く車に乗り福井県へ、、

東尋坊の帰り道に

立ち寄ったこのお城は

開城時間が17時まで、、、

せっかくきたので

お城の中も見たかったが

向かう車中、どうみても

到着した頃にはもう間に合わない状況、、、

 

、、しかし

お城にたどり着いたタイミングは

ちょうど、管理事務所の方が

お城の扉の施錠をしようとしていたそのとき、、

まさに目の前で扉を閉めようとする

階段の上にいるおじさんに

なんとかスタンプだけでも押させてください!

お願いします!とお願いすると

すごく優しい方で

スタンプを押すことができ

「どこからきたの?これ本当は城に入城した人にしか

あげれないけれど、城に来たどこかの人が

落としたか捨てたようだからあげるよ。」

と城の帰り道にくださった この入場券。

この入場券(しおり?)に書いてある

「一筆啓上〜」

まだ、徳川家康が三河の

小さな戦国武将として

強大な大名に囲まれながらも

生き抜く方法を考えていた頃、、、

徳川家康の祖父の代から仕え

三河武士の一人として

全身全霊を持って主君に尽くした男の名は

本多重次。

彼は気性も荒く

通称「鬼作左」と呼ばれ

どこのいくさで無くしたか

片目は潰れ

手指ももげ

片足も無かったらしい。

 

普段から主君である家康にも

考えが違えば容赦なく意見をし、、、

(結構、家康のまわりはそんな部下ばっかりだったみたいです、、、、)

 

家康が妻に内緒で女中に手をつけ子供ができてしまえばそれを匿い

家康が背中にできものができて家康が手術を断れば一緒に死ぬと切腹の準備をして家康をビビらせたり

家康が戦利品で釜茹での刑に使う大釜を手にいれ喜んだ際にはみっともないからこんなもの使うなと大釜を叩き割ったり

なんだかいろんなエピソードが残ります、、、

あの、有名な三方ヶ原の戦いで大敗北を喫し

徳川軍が敗走するなかで

鬼作左も十数人の敵に囲まれ

もはや絶体絶命の状況のなか、、

馬上から敵兵の一人が繰り出した槍を

たぐって落馬させ首を掻き切り

その馬を奪い、浜松城に逃げ戻る、、、

この2年後、、

長篠の戦いにおいて家康は

再び武田軍と相見えることとなる、、、

その時、この長篠の陣中において

鬼作左は妻にむけ

 

「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」

 

と手紙を送ったそうです。

そのお仙こそ鬼作左の嫡男

のちの

越前丸岡藩4万石の藩主となる

本多成重。

簡潔かつ妻へ宛てた

鬼作左の愛情伝わる

この日本一短い手紙は

手紙のお手本として、、

今も語り継がれています、、、

 

話は戻りますが、、、、

この鬼作左、、、

庶民からも恐れられるほどの

有名人だったようですが

 

三河三奉行の一人として

民衆を統治し行政を行った際は

その見た目や性格とは裏腹に

公正明大な判断、処理を行っていたことで

みんなビックリしたらしい、、、

(とにかく真面目なんですね、、、、)

 

しかも、、

ときの権力者である

秀吉を何度も激怒させたという話もあり

小牧長久手の戦いにおいて

連合軍として家康と組んでいた

織田信雄が勝手に秀吉と講和してしまい、、

いくさが終わってしまったあと

家康にも上洛し挨拶に来いと

何度も秀吉は言うが

 

家康は2年間も無視、、、

痺れを切らした

秀吉はしまいには

自分の生母、なかを人質として

家康に差し出したという、、

ついに家康は上洛し秀吉の傘下に下ることとなるが

家康が秀吉に会いに行っているあいだ、、

 

この鬼作左、、

家康にもしものことがあったら

いつでも人質である母親を燃やせるように

彼女の住んでいた宿舎のまわりに

大量の薪をくべたといわれます、、、

(こりゃあかんでしょ、、、

しかしすごい、、)

とにかく関白だろうが太閤だろうが

鬼作左には関係なく

あるのは家康への忠義のみ、、、

彼の人生は

全てを徳川家に奉じ、決して揺らぐことがなかったという。

 

また、天守閣のそばに石碑が残っており

長浜城とか

郡上八幡城とかにも

あったな、、、、、

丸岡城築城の際に

生贄となった女性がいたらしい、、。

次回に続く、、、、

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