1684年

青野城

太平の世における

刃傷事件、、、、

 

岐阜県大垣市にある

水田に囲まれた石碑は

青野城と呼ばれた陣屋跡、、

 

徳川5代将軍 徳川綱吉が発布する

「生類憐れみの令」

その3年くらい前のはなし、、

 

堀田正俊。

彼は真面目でどうも融通の利かない性格であったらしいが

4代将軍家綱が亡くなったあと

徳川将軍家に

後継者がいなかったことで

5代目将軍を巡り

そのとき権勢を振るっていた

大老、酒井忠清と対立。

お世継ぎのいなかった家綱。

もともと御三家というシステムがあるにも関わらず

酒井忠清らは京都にある朝廷から

養子を貰い次の将軍にしようとします、、

だが

それに反対する

堀田正俊。

家綱の義理の弟であった

綱吉を推し

跡継ぎの問題で

酒井忠清と揉め

綱吉が5代将軍として無事就任。

堀田正俊はその功績を讃えられてか

大老に任ぜられます。

関ヶ原の戦いから80年経ち、、、

「天和の治」と呼ばれた

政治を執り行い

ますます幕府の権力は強固なものになっていく、、

 

その4年後、、、

1684年(貞享元年)

美濃青野藩藩主であった

若年寄 稲葉正休が

発狂。

堀田正俊は江戸城内で突如

刺殺されてしまったという。

 

そのあと、、、、

本来であれば、まわりは正休を捕らえ

なぜそんなことをしたのかと取り調べ

それから然るべき罰を

与えるべきであったであろうはずが

、、、

 

その殺人現場に駆けつけたという

老中 大久保忠朝ら3人は

正休をその場で

なます斬りにしてしまったという、、、

 

そのため、正休が正俊を殺した動機は

今もって謎のまま、、、

 

稲葉正休が

父の跡を継いで

美濃青野藩1万2000石を領してから

1683年(天和3年)

琵琶湖から大阪湾まで流れ出るという淀川の氾濫を防ぐため

治水費用として4万両(40億円!?とにかく凄まじい額、、)

予算として計上するも

堀田正俊は2万両でなんとかなると判断し

正休はこの淀川の治水事業の任を外されてしまったらしい、、、

 

これが憎しみを生む

きっかけかどうかも分かりませんけれども、、、

発狂、、、、

 

正休は正俊を殺す前、、かなり切れ味のいい刀を準備していたともいい

事件前日夜には

一緒に酒を飲んだか口論をしたか

分かりませんけれども

とにかく二人は会っていたらしい。

 

正俊は綱吉を将軍にしたはいいけれど、、

大老になってから、、

綱吉が生類憐れみの令を布くことに反対をしており

どうも二人の間ではうまく

歯車が噛み合わず、、、。

 

しかも江戸城内で

刃傷事件を起こすというのは

正休からみれば

自分の所領とか

身内のこれからとか

考えたら、、、普通、、、

 

これはよっぽどのことでは、、、

しないやろ、、、、

 

それはともかく

今回紹介した稲葉正休の領した青野藩、、、

正休の刃傷沙汰により

青野藩はわずか2年で

廃藩となってしまいます、、

石碑の裏にはどなたかの墓?があります。

石碑の裏、、、なんか書いてある
、、、、、

、、しかしどうもこの時代の人たち、、

生類憐れむ前までは、、、

犬、、、食べてたらしい、、、

 

今思うとギョッとするくらい

とてもじゃないが、、

と思いますけれども

普段何も考えず

牛丼や焼肉とか食べていること考えれば

この生類憐れみの令については、、

それはそれで犬を食べないという

人々の意識が変わったのか、、、、

なんともいえないですけれど

 

もちろん今でいえば

飲酒運転とかもそんな感じで、、

 

現代において牛肉とか豚肉とか食べたら死刑とか

こういう法律がしばらく続いたら

何百年ものち、、、

日本はどうなるんだろう、、。

 

(なんか今でいえばタバコの煙の、、、

とか渦巻いてる感じもしないでもないですね、、、

いま思えば子供の頃

誰でもおじさんたち、、

みんなどこでもめちゃくちゃ

吸ってたやんか、、、

まあ匂いについてはあれですけれども、、、

ちょっと違うか、、、)

 

それはともかく

江戸城内において徳川将軍の時代の中で

刃傷沙汰は7回もあったらしいです、、、、

、、そして

この17年後

、、、、同じ将軍綱吉の時代に

あの有名な赤穂浪士の

事件の発端となる

浅野内匠頭による刃傷事件が

江戸城にて勃発、、。

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