1548年

三井山城

「風立ちぬ」

昭和14年

あの零戦が初めて飛んだという

航空自衛隊の基地が近くにあります。

岐阜県各務原市

三井山という

(近所の人は水道山とか呼ぶらしい、、)

標高109mの小さな山の上にある

お城の跡

1482年(文明14年)頃に

三井弥市郎という土岐氏の家臣が

築いたといわれます。

ハイキングコースとして整備され

小さく岐阜城が見えます。

ここから南へ、木曽川を挟み

守護大名である斯波氏は

八群からなる尾張国を支配。

その南四群を守護代とした

織田達勝に仕える

三奉行の一人

織田信秀。

彼は普通の?大名とは違い

経済や金融に目をつけ

莫大な財産をもって

勢力を広げたらしい。

信秀の父

織田信定が

商業都市であった

「津島」

と呼ばれる港町を

支配下に置き

米俵による収穫ではなく

ゼニと呼ばれる経済での

支配に乗り出していく、、、

息子である信秀は家督を相続後

拠点であった勝幡城から勢力拡大を図り

1538年(天文7年)

那古野城を奪い取り

古渡城という城を築き

津島に続いて

経済都市

「熱田」を支配。

この二つの町からあがる莫大な税金が

出兵の軍資金となり

また彼は

朝廷へ凄まじい額の献金をしていき

なんと主君である

守護斯波氏や守護代よりも

地位や権威は上回っていたという、、、、

「美濃侵攻」

かつて、斎藤道三の謀略により

美濃を追い出され没落した美濃守護大名 土岐氏

かつては守護大名の地位を

何度も争った兄、頼武と弟、頼芸。

家臣である斎藤利政(道三)の

力添えもあり

頼芸は守護大名となりますが、、

その家臣である斎藤利政に美濃を追い出され

木曽川を渡り尾張、織田信秀に助けを求めます。

頼芸は

斎藤道三に国を盗られてから、、

かつての敵であった

兄、頼武の息子である頼純と和解し

その頼純はもう一度守護に返り咲きたいという

野望を持ち、、、

信秀にも相談する、、、

 

1544年(天文13年)

?または1547年(天分16年)

のあたりにおいて

織田信秀は美濃へ侵入。

城下を放火しながら稲葉山城付近まで

たどり着くも

道三は動かず、、、、、

その日の夕方頃に

織田軍が引き上げようとした瞬間

斎藤軍は追撃する形で突如攻撃を開始。

織田軍は

ズタボロにされたそうです。

 

その後も、何度も何度も斎藤道三とぶつかり、、、

しかもその間には

犬山城主である織田信清が謀反を起こしたり

(なんかこのひと、謀反ばっかり起こしてる気がします、、、)

東に立ちはだかるのは

これまで何度も

衝突している今川義元、、、

そして

今川家、織田家との間に挟まれ

三河、岡崎城において

数々の苦難多き時代を辿りながらも

運命に身を託していくしかない

松平家、、、

織田信秀の謀略により

父と子が引き離される、、、

父、広忠は今川家へ、、、

子である竹千代は織田家の人質となる、、、

しかし、、、

のちに竹千代が

この戦乱の世を終わらせ

250年以上も

太平の世を築いていくこととなるとは

誰が想像できたであろう、、、。

 

話が、いつも脱線しますけれども、、

この三井山城

その美濃土岐氏と斎藤家との戦いの最中で

どさくさに紛れ、織田信秀が

落としてしまったという、、、

そのまま廃城となったそうです。

山の途中には、、

古墳があり

(なぜこういう穴?があると

ずっと奥まで覗きたくなるんだろう、、、?)

謎めいたお地蔵さんも並ぶ、、、、

 

そして

織田信秀と斎藤道三との攻防は

和睦をもって終わる、、、

 

信秀の三男である

織田三郎信長、、、

斎藤道三の娘と結婚。

彼女を

尾張に迎える事となります、、、。

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