1583年

苗木城

日本中の武将たちを巻き込んだという

1600年(慶長5年)

「関ヶ原の戦い」

岐阜県の西の端っこで行われた

天下分け目の戦さのまえには

岐阜県の東の端っこにある

この城のあたりで

かつて、、

領地を取り戻すべきものたちのいくさが

行われたといわれます、、、

しかし

 

ここに向かう途中で

休憩した可児市の

道の駅にあったこの旗、、、

ええやんか、、、

岐阜県も来年に向けて気合いが入っています。

ちょっと欲しい、、、

どこで貰えるんだろうとか

買うんだろうかと考えながら

 

記念に写真だけ、、

 

苗木城。

最近なんか評判で気になっていたので

行ってみましたが、、

本当に凄かった、、、

(写真適当、、、

いつも下手で感動を伝えきれませんけれども)

ロボット兵が出てきそう。

 

こんなに美しい城跡、、、

これまで見た事なかったと思うくらい

素晴らしかったです。

城から見る外の景色もとにかく抜群。

このあたり

東美濃は美濃と信濃を結ぶ

要衝にあることで

山城も多く

昔から

よく戦乱に巻き込まれていたようです。

 

織田信長の時代

1582年(天正10年)

2月

甲州征伐において先陣をきる

鬼武蔵と呼ばれた武将

 

森長可。

愛槍 「人間無骨」を手に

名馬 「百段」にまたがり

軍規違反もなんのその

とにかく

暴れまわったらしい。

、、武田氏滅亡後

4月には

信長より

信州海津城(のちの松代城)を与えられ

武田家から奪いとった

信濃統治を始めたという。

 

しかし武田の旧臣とかの反発や

地元の一揆とかもあり

すぐに信濃を統べることはできず

 

不安定な政情だったらしく

そのなかでも長可は

反発する信濃国衆から人質をとったり

 

国衆と何度も話し合いながら

統治に努めていったそうで、、、

5月

織田家の北陸方面軍司令官

柴田勝家とともに

あの上杉景勝率いる越後へ侵攻し

上杉家の居城である春日山城まで肉薄するほど奮戦。

 

だが、6月2日に

織田信長が

ついには本能寺の変で斃れることとなり

それを知らされた長可は

信長の仇討ちをするため

越後から撤退したといいます、、、

 

しかし

信長の死を知らされた

信濃衆。

まだまだ織田家に与することは出来ない彼らは

 

この時点で

ほぼ全員 森長可を裏切っており

長可は

海津城にいた人質を盾に

 

命懸けで信濃を通り抜け

6月24日に

弟である森蘭丸

(信長とともに死んでしまいましたが)

の領地であった

美濃金山城まで戻ることとなる、、、。

しかし鬼武蔵、、、

 

ここからが凄い、、

無事、美濃の安全圏まで戻ったはいいが

裏切りの連鎖か、、

これまでの積年の恨みが深かったのか

信濃衆に続き

東美濃の勢力たちは

一気に離反、、、

 

米田城 肥田忠政

久々利城 久々利頼興

小里城 小里光明ら、、、、

その中に、苗木城城主である

遠山友忠もいます、、、

、、四面楚歌の状況のなかで

森長可は

7月初旬から

 

東美濃にあるその裏切りものの城を

 

疾風の如き速さで

一つずつ潰していったという、、、

その結果

一年足らずで

東美濃を再び統一してしまったらしい、、、

 

しかし、、、

東美濃統一を果たした翌年

 

長可が人生を閉じることとなる

小牧長久手の戦いが始まります、、、、、

15歳で初陣を果たし、、

戦いに明け暮れたこの武将の生きた時間は

 

なんとわずか27年、、、、

凄まじい、、、

 

織田信長にも可愛がられ

かなり無茶苦茶な性格だったらしいが

もし長生きしていたら

この人どうなっていたんだろうか、、、、

そしてこの苗木城の城主であった

 

遠山友忠、、

森長可に攻められ、一度は撃退したそうですが

二度目の戦いにおいて敗れ、息子である友政とともに

徳川家康を頼り

落ち延びることとなります。

、、、

なんだか話が全然逸れてしまい、、、

 

森長可のこと書いていたら

長くなっちゃったので

、、次回に続きます。

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